ブルネイ調査.

ここが,リサーチセンター? まるで湖畔のペンションじゃないか?それが,私が一番最初にTasek Marimbunに対して抱いた印象だった.そして,この印象は一ヶ月後の滞在終了日まで裏切られることはなかった.建物は,博物館を合わせて3棟に分かれ,私たちが寝るゲストハウスは4つのベッドルームに食堂,洗濯機,乾燥機,ガス,電気,冷蔵庫と日本の生活と何ら変わりがない.むしろ,ここの方が乾燥機がある分ぜいたくかも知れない.

悲しいかな,私の最初の興味は建物の回りの植生よりも,建物の方だった.

鹿児島大学の鈴木先生,宮本先生,森林総研の安田先生,熊本県立大学の山田先生,そして私の5人がTasek Marimbunのリサーチセンターに集まった.鈴木先生と山田さんは8月から滞在しており,調査を続けている.安田さんと宮本さんは2週間で帰られてしまうのだが,はじめてのカリマンタンに期待を膨らませている.特に,哺乳動物学者である安田さんは,animal trapを大量に持ってきており大漁を期待している.そして私がおまけとして同行させていただいている.

ここTasek Marrimbunは国立公園であると同時に盛んに熱帯研究が行われている場所である.海外からの研究者の誘致に力を入れると同時に,ブルネイ大学の研究者も多い.この一ヶ月の間にもオーストラリアの生態生理学者,ブルネイ大学の少数民族について勉強している学生達が訪れ,知識をこぼしていってくれた.

最初の日はゆっくりとセンターの回りをまわって終わった.鈴木先生が色んな植物の標本を採りながら歩く.私のためにつるの標本も採ってくださる.さすが,20年近くボルネオ島の植物採集を行ってきただけあって,違う植物を見つけるのがとにかく早いのだ.上でも下でも横でも,すぐに見つけて科名を口にする."Annonaceaeだな,繊維っぽい." "Guttiferae, マンゴスチンの仲間だよ."そして一方やはりすごかったのが,安田さんの果実見つけ術である.半島マレーシアで8年間小哺乳類(リスやツパイなど)の種子散布関係について調べている安田さんは,彼らに劣らないんじゃないか,と思うほど果実を見つけるのが早かった.十何種の果実が集まった.が,夜安田さんの見たところによると半島マレーシアと同じものはないという.

そして翌日から徐々にフィールドワークが始まっていった.鈴木先生は去年作ったプロット内の木の同定作業.安田さんはanimal trapを仕掛けにボートで行き来する.山田さんはScaphium sp.の調査.この木は山田さんがドクター論文を書く頃から研究対象にしている木であり,実が船のような形をしている.名付けて"フネミの木",名付け親は山田さんだ.日本で研究発表するときはこの名を使う.宮本さんは分子細胞遺伝学者,鈴木先生の手伝いをしながら対象種を選ぶ.そして私も鈴木先生の指導のもと,つる植物について何を調べるかを形作っていった.

プロットは全部で4つ.私が調査したのはプロット4と,プロット2である.プロット4は,尾根上の比較的乾燥したところにあるプロットで,林冠までぐるぐると旺盛にtwinnerが登っていた.逆にプロット2は泥炭湿地でヤシが多いと同時にrootclimberが多い場所であった.twinnerとは,主軸が右又は左方向に回転しながらホストの木に登っていくつる植物,朝顔がそうである.rootlimber とは,気根を出して,ホストにペタペタくっつきながら登っていくつる植物.イワガラミがそうである.私はプロット4の方が好きだった.何故なら足下がどろどろにならないからである.尾根上に座って,近所の人たちが作ってくれるお弁当を食べながら見上げる巨木は,本当にきれいだった.高くて,整然として,日本の木のようにまだ親しみは持てないけれど,畏敬の念を抱かずにはいられない,そういうブルネイの森だった.

近所の人たちが作ってくれるお弁当.ごはん,炒め野菜,魚もしくは肉.むちゃくちゃおいしい,最初のうちは.しかし,味付けのパターンが一緒なので,段々と飽きてくるのだ.毎回海外に来て実感すること,日本が食文化の豊かな国でヨカッタ.夕飯も同じ人がつくってくれる.基本的に内容は昼と同じ.朝は当番でパンや目玉焼きをつくって食べた.7時にボートでプロットへ出発.調査は3時頃まで.帰ってきたら実験棟で標本作り.6時夕飯.9時就寝.そして,又朝がやってくる.きっと日本でも同じように朝がまわってくる.

安田さんのanimal trapはなぜか一匹もかからない.センターの回りではリスやツパイやオナガザルが樹上から,物珍しそうに我々を観察している姿が観察できるのに,である.残念なことに今回は一匹もかからなかった.安田さんが8年間調査を行ってきた半島マレーのTaman negaraは,回りがアブラヤシの畑に囲まれており,哺乳類にとって食糧には事欠かないため小哺乳類の密度が異常に高いのではないか.しかし,樹上にはいるのだから,次回は樹上用トラップを持ってくる,と悔しそうであった.しかし,安田さんは果実面では色々収穫があった.その一つである黄色い果実をみんなで食べたことがある.それは,マンゴスチンのような果実なのだが,マンゴスチンでは実と種子が口の中でさくっと分かれるのに対し,この実はなかなか分かれない.しかし味は甘くておいしいのだ.きっと猿は,この果実を食べながら,なかなか実が種子から剥がれないので,モゴモゴしたまま遠くへ移動してしまうのだ.そうすると,種子は植物の思惑通り遠くへ運ばれることになる.「これおいしい.猿いいもん食べてるわねえ.」と,宮本さん.

宮本さんが研究対象にしたのは,Licuala sp.である.うちわのような葉を持つ植物で,実際にこれからうちわを織る.このLiuala sp.は湿地には背丈の低いのしか見られず,尾根にある背丈の高いものとは別種なのかどうかというのが鈴木先生が以前から気になっていたことであった.そしてこの尾根 Licualaと,湿地Licualaの葉のサンプルをとり,遺伝的に解析してみることになったのである.サンプルにした葉の量は全部合わせても片手で持てるぐらいの軽さ.しかしこれから,十分すぎるぐらいのDNAがとれて,そして両手に余るぐらいのおもしろい事実が発見されるかも知れない.宮本さんのお仕事は,じつは帰国してからなのだ.「一週間ぐらい生徒のことは無視して実験室に閉じこもろうかしら」という宮本さん.でも,優しい宮本さんにそんなことは無理だろう.

私と宮本さんは2週間同じベッドルームだった.そして,色々話を聞いてもらったり,教えてもらったりした.とてつもなく素敵な,しっかりした考えを持った人である.2週間同じでとても勉強になった.今更,お礼を言うのは遅いだろうか?

そして,2週間後,安田さんと宮本さんは帰国の途についた.鈴木先生,山田さん私にはさらに2週間.9月も半ば.徐々に雨期に移行しつつあった.熱帯の雨はすごい.気持ちいいぐらい全てを洗い流してくれる.雨が降ったあとの湖は目で見ても明らかに水位が上がる.そして,雨が降ったあと特有の deep blueな空と,入道雲が現れる.そして又全てを洗い流してくれる雨と,青とくも.繰り返されることの偉大さ.時間が流れることのかなしさ.みたいな物が,ボンヤリと頭を抜けていく.

そして,3人ともそれぞれの仕事を終え,標本の数もしだいに増えていった.そして,最後一週間はハーバリウムへと通うことになる.ここで標本の同定をするのだ.ハーバリウムはTasek Marimbunから車で一時間ほど,さすが,ブルネイのハーバリウム!! 内装も外装もきれいで冷房がピシリと効いている.インドネシアのボゴールのハーバリウムとは大違いである.ボゴールのハーバリウムは丁度私が行ったときは燻蒸(標本が腐らないように化学薬品を用いて消毒すること,人体に悪影響を及ぼす薬品を用いることもある.)中で,私は綿の口マスクを手渡され,こういわれた.「あゆほ,気分が悪くなったらでてくるんだぞ.」なんといういい加減さ.しかもボゴールは冷房が効いておらずオランダ時代からの古い歴史を持つので標本数が並々ならず多い.その数10万点.鈴木先生曰く,あの熱い建物の中で標本の同定をするのは,非常に忍耐と体力のいる作業なのだそうだ.

打って変わって,ここブルネイのハーバリウムは違った.この上なく快適な作業場で標本数も手頃な数なので丁度いい.私は5日間通ってつる植物を50種ほど同定.鈴木先生は一週間かよって木本を400点ほど同定.鈴木先生はもう20年ほどカリマンタンの調査を続けているが,そのあいだに東南アジア各地に1haプロットを十数個作り,プロット内の木本の樹種を同定し続けている.その同定した数,約2万.ゆくゆくはカリマンタン全体の植物多様性の比較を行いたいと思っている。

そしていよいよTasek Marimbunを離れる日がきた.もう完全に雨期の時期である.2ヶ月間もここに滞在していた山田さんはこの移り変わりに,改めて驚いていた.というのも,Tasek Marimbunから首都バンダルへ向かう道が水没しそうになっているというのである.このリサーチセンターの鍵を管理してくださっているTuaさんが「今日向かった方がいいよ.明日になったら通過できなくなるかも知れない」と言い,1日早く発つことになった.プロットへ向かうたびにボートで通過した湖も明らかに水位が増えている.3人は身の回り品,標本,調査道具などを慌ただしくまとめ,調査を手伝ってくれた地元の人たちへお金を払い,出発した.



本当に道は水没寸前であった.



しかし,一日早くバンダルにでたおかげで,翌日3人でバンダル市内を観光することができた.一番楽しかったのは何と言ってもボートでの水上集落巡り.ここバンダルは水上に建物(病院や学校まで)が建設されており,そこに住む人々の足としてボートが行き来している.ボートのガソリンスタンドはもちろん水上にある.


そして集落を離れたところまで行くと両岸にはマングローブの林が見えはじめてくる.

Sonneratia caseolaris

何故,雨期には大量に雨が降るのに水上集落が形成されるのだろうと思ったが,それは台風が来ないからなのだ.熱帯直下のため台風は訪れない.だから,雨は多量ではあっても暴風雨として荒れ狂うことはないのだ.


そして,この日の夜は最後だからと言うことでシェラトンに夕飯を食べにいった.山田さんはシェラトンだからと張り切ってバティックを着ていく.きれいなレストランであった.料理もおいしかった.しかし,厳格なイスラムのお国柄,外国人が主たる客であろうと思われるこのホテルのレストランでもお酒はおいてなかったのである.



そしてブルネイを発つ日がきた.2人はマレーシアのクアラルンプールから福岡へ,私は成田に向かうので,バンダルを発つ飛行機も時間が異なる.私の飛行機は朝8時発で,見送ってもらって空港に向かった.クアラルンプールまではブルネイ国際航空である.やはり,機内でもお酒はなし.同じイスラムでもインドネシアと厳しさはだいぶ異なるな,私はトマトジュースを飲みながらそう思う.

そして9時間のクアラルンプールでのトランジットを私は思う存分楽しんだ. KLの主要な観光地はじめ,買い物はじめとても楽しかった.一番興味深かったのは Islam Art Musium.世界各地の有名なモスクの模型があって,きれいであった.モスクの建築に使われるイズニックタイルの美しい青は,砂漠の薄い黄色の上で怪しく光るのではないか,と思った.



あとは就寝.そして,お寿司を食べるために日本へ.実家の船橋で2,3日のんびりと過ごした後,2ヶ月半ぶりに帰札した.まだ,熱帯の感覚が抜けない.帰札して3日後に初雪が降ったが,目を閉じると瞼の裏には常緑のブルネイの森が浮かぶ.そして頭の中は少し,まだマレー語化している.私は改めて鈴木先生にメールを書いた.「お元気ですか?まだ,熱帯にいる気がします,,,.」そしてその返事が,即届いた.「,.札幌では初雪が降りましたか.鹿児島では火山灰が降りました.」この一文を読んで,私は妙に日本にいるんだという感覚が戻ってきたのである.