青森探訪 〜岩木の泥蛇と八甲田の大将〜


百名山も88座登り終えた私には、困ったことが1つあった。それは、残りほとんどが遠方にあるということである。

羅臼、雌阿寒・雄阿寒、幌尻(北海道)→ 遠い
岩木、八甲田(青森) → 遠い
穂高(北アルプス) → 今年のGWに穂高岳山荘までは行ったのに、おしい。
薬師(北アルプス) → 今年のお盆に薬師沢小屋には泊まったのに、おしい。
大台ケ原(奈良) → 数時間の登山のために、わざわざ奈良の山奥まで行くのが大変。
大峯山(奈良) → 修験道の山なので、中途半端な態度では行ってはいけない気がする。
剣山(徳島)→ 遠い
大山(鳥取)→ 遠い
祖母山(大分)→ 遠い

この中で一番手が届きそうだったのが、青森県の2座。私は山行予定を立てて、金曜夜20時上野発の夜行バスに乗り、一路弘前へと向かった。

朝5時過ぎに弘前バスターミナルに到着。今回の旅に参加してくれる千春ちゃんは、一本遅い23時上野発の高速バスに乗ったため、私は弘前で3時間ほど時間があった。今日は、岩木山神社より岩木山に登り、嶽温泉に降りて弘前に戻り、夜は青森のビジネスホテルに宿泊予定。

津軽フリーパスというキップがある。弘前ー青森間のJR,弘南バスが2日間2000円で乗り放題というもので、今日の弘前ー岩木山神社、嶽温泉ー弘前(弘南バス)、弘前ー青森(JR)の合計乗車金額が2000円以上であればフリーパスを購入するつもりで、私はバスターミナルから5分ほど離れたJR弘前駅の緑の窓口に行った。 「津軽フリーパスですね。ありますよ。2000円です。」
「弘前ー青森はJRで680円ですよね。今日岩木山に登りにいくんですけど、弘前から岩木山神社、嶽温泉から弘前までのバスの料金ってわかりますか。」
と尋ねると、ここではわからないのでバスターミナルできいてください、という。また戻るのか、、やれやれと思いながら
「わかりました。じゃあ、フリーパスはバスターミナルのほうでも買えるんですね?」
「いや、むこうでは買えません。ここだけなんです。」
という。思わず目が点になった。この二社けんかでもしてるのか? なんという不連携ぶり!!と思ったが、田舎だとこういうこともあるのだろう、しょうがない、私はバスターミナルに戻り、岩木山神社までが670円、嶽温泉からが1000円で合計が2000円になることを確認して、再度JRの駅に戻ってフリーパスを購入した。

この後2キロほど離れた弘前城を見に足を伸ばす。予想以上に広大な敷地、立派な内堀、三の丸、二の丸、本丸と登っていくと、そこからは優雅に裾野をたなびかせる岩木山の姿。津軽城主とその側近のみが堪能できたこの風景は、今は庶民の持ち物で早朝の本丸は犬の散歩やストレッチをする高齢者で賑わっていた。



津軽城より、岩木山を望む。



バスターミナルに戻ると千春ちゃんの乗ったバスは浦和での事故渋滞のため遅れる見込みだという。8時のバスには間に合わないかと思ったが、タッチの差で予定通りそのバスに乗ることができ、30分弱で岩木山神社へ。薄曇の下、大きな赤い鳥居を通して岩木山の姿が見える。別名、陸奥富士と呼ばれるこの均整の取れた美しい山は、山頂まで約4時間淡々とした登りが続く。
「古代の日本人は、円錐形の山を蛇がとぐろを巻いた形と見なして、畏怖して登らなかったんだって。」
「へー、そうなんだ。」
そんな話しをしながら登り始め、蛇神がその話を聞いたのか、30分もしないうちに雨が降り始めた。2人はレインウェアを着て杉木立の中を登っていく。すると予想以上に多くの人が下山してきて「雨が降ると滝になっちゃうんで、山頂は諦めて帰ります。」という。
7号目の焼止小屋にほぼ時間通りに到着し、しばし休憩。雨足が弱まってから再度登り始めて、下山してきた人たちの言っていた意味がわかった。ここから先は杉林もなくなり、突如、沢伝いのバリエーションのような道になるのである。雨でも登れなくはないが、地元の人なら「また天気のいい日に」といって引き返す気持ちがわからなくもない。若干紅葉が始まった岩場を1時間ほど登りつめると、種蒔苗代の池に到着したが、ここは風の通り道となっていてものすごい風と霧。風速1メートルで体感温度は1度下がるということを実感しながら鳳凰ヒュッテまで行き、ここから最後の岩稜帯を登り岩木山の頂上へ到着。

岩木山神社をお参りし、山頂小屋にて昼ごはん。千春ちゃんは今回、クッキー2種類、アポロチョコ、キットカットと行動食がとても充実しており、そのおすそ分けに預かる。しかし食事を終えてしばらくすると濡れたシャツを着たままの身は、「あ、このままだとやばい。」と感じるほどに冷えてしまい、2人はレインウェアの中でもそもそと動いて乾いた服をじか肌に着けた。すると体内からの熱で今度は体がゆっくりと温まっていく。乾燥している服を着ることは、特に秋雨に見舞われた晩秋の山においてはとても重要である。

外はまだ雨が降り続けていたが体が温まったタイミングを見計らって出発。鳳凰ヒュッテを過ぎケーブルカー乗り場のほうへ下っていくと、少し霧が晴れて振り返ってその頂をみることができた。1時間弱で岩木山のケーブルカー乗り場まで降り、ここから嶽温泉まではさらに1時間30分の下り。ケーブル乗り場のおばちゃんによると嶽温泉の日帰り入浴は3時までとのことで、1時15分私たちは急いで山道を下りはじめた。

周りは見事なブナとミズナラの原生林。ちょうどミズナラの実の成熟時期で、地面には膨大な数のどんぐりが落ちている。一説によると、ミズナラの巨木はなり年には1本あたり5000個近く実をつけるという。このブナ・ミズナラ林を育んでいる岩木山の火山灰土壌は非常に粘土質で、雨上がりのためこの土質の滑性に超みがきがかかっており二人は何度もすってんころりん。しかし急がないと日帰り温泉の時間が終わってしまうというジレンマに悩まされながら、なんとか3時前に山麓の稲荷神社に到着。ここの鳥居の脇に目を見張るような巨大きのこ。



謎のきのこ



後でキノコに詳しい友人に聞いたところ、食べられるカラカサタケだという。

5軒ほどある温泉宿の中から、二人は縄文の湯を選んだ。乳白色のお湯に木で作られた浴槽。地元のおばちゃんたちと話しながら1時間近く浸かって登山の疲れを癒し、宿の庭にある水道をお借りしてどろどろになったレインウェアを洗わせてもらう。

バス停の前にあったお店では近くで取れたキノコが3種類売られていた。



マイタケ、カモダシ、ハタケシメジ



店のおじさんに尋ねる。
「すぐそこの稲荷神社に生えていたキノコなんですけど、、なにか分かりますか?」
携帯の写真を見た後、おじさんは眉をひそめて
「わっかんねえなあ、、。」
と呟く。
「キノコ取りをしているからといってキノコに詳しいわけじゃないんだよ。コツはな、わかるのしか取らないことだ。」

4時10分のバスに乗って弘前に戻り、私は千春ちゃんと一緒にもう一度弘前城を見学し、その後津軽三味線の聞ける山唄という飲み屋へ向かう。ネットの情報によると、複数の弾き手による演奏は迫力があって良し、しかし料理はいまいちだという。19時30分からの演奏で私たちが到着したのは約1時間前だったが、1階席は予約で一杯。2階の席に座り、ビールとホタテ焼きなどを頼む。
「お待たせしました。」
と運んできてくれるスタッフが実は三味線の弾き手で、演奏が始まるとお給仕は一旦休みになるという。その時間になるのを楽しみに待つが、千春ちゃんは疲れた様子で「ちょっと寝るね。」と言って机に突っ伏してしまい、しかしそれもつかの間で「ごめん。私なんかダメだ。一足先に帰ってホテルで寝てる。」という事になり、残念なことに三味線の演奏を見ることままならず、JR弘前駅に向かって行った。

私は一人で演奏を聴いた。老若男女交えたメンバーが入れ替わり立ち代り色んな曲を演奏し、1階のひいき客はお花と称して割り箸に千円札をはさんで歌い手に渡す。演奏は1時間半近くにも及び、なかなか興味深かった。

弘前駅から青森駅まで約50分。暖房の効いた車両に座ると、私は読もうと思って取り出した本を片手にしたまま即効眠りに落ちた。新幹線が開通した青森駅は学生時代に訪れたときに較べると大変貌しており、私は街路樹としてアルプス乙女というりんごの木が植えられている新町通りを歩いて、今日の宿であるアルファホテル青森に向かった。じゃらんで予約したところ、朝食付き1名で2450円という破格の安さだった宿で、駅から徒歩15分と離れているものの建物は立派でフロントもスタッフの雰囲気もとてもいい。
「お客様お一人が既にご到着されています。」
と案内された11階の部屋では、千春ちゃんが意外にすっきりした顔をしてくつろいでいた。何か悪いものを食べたらしく、電車の中では腹痛に耐え青森駅でトイレに駆け込んで嘔吐。しかしその後はだんだん気分がよくなってきて、ホテルに着いた後近くの薬局に買い物にも行ったと言う。
「明日もなんとか大丈夫そうだよ。」
「本当? 良かった、。」
この部屋がこんなに安いのは理由があった。ネット予約したときは気付かなかったが、実はダブルベッドだったのである。しかし気心の知れた女子同士なら特に問題なく、お互いに干渉しないようにして熟睡。

10月6日(日)
朝起きると、窓の外には蒼空の下、青森平野をぐるりと取り囲む峰々が見えた。今日は好天が望めそうである。朝食は和洋折衷のバイキング。炊き立てのご飯に、焼き魚、漬物、出汁巻き卵、サラダや煮物が並ぶ中、特においしかったのは岩海苔の入ったお味噌汁とりんごジャム入りのヨーグルト。朝ごはんに大満足して2人は新町通りを歩いて青森駅に向かう。
「街路樹にりんごが植えられているの気付いた? かわいいよね。」
「えっ、りんご? 気付かなかった。私は青森ってさくら野っていう百貨店なんだとか、りんごのお菓子で有名なチャンドラってここに本店があるんだと思いながら歩いていたよ。」
同じ場所を歩いていても2人では目の行き所が全く違う。

8時、青森駅発のJRバスに乗って八甲田中腹の酸ヶ湯温泉へ。私は大学のサイクリング部の時代に東北を2週間近くツーリングしたことがあり、その時自転車で酸ヶ湯に行った。標高差800メートルの峠は涙を流すほど辛かったが、その後入った千人風呂には度肝を抜かれたことを記憶している。千春ちゃんは酸ヶ湯が初めてというので 「一見の価値があるよ。脱衣所に忘れ物しましたって言って千人風呂見てくればいいよ。」
私はそう勧めたが、宿の中にはしっかりと「見学はご遠慮ください。」という張り紙があり、おトイレを借りるに留まったという。しかし彼女は仕事の関係でよく八戸に出張に来るのでそのうち酸ヶ湯を再訪する機会もあるだろう。

酸ヶ湯薬師に今日の山行の無事をお祈りして出発したが、昨日の雨で山道は泥々になっており一歩ごとに山靴が重くなっていく感じだった。それでも3連休の中日は、行楽客が多く、孫を連れたおじいちゃんや高齢者のパーティーに混ざって標高を稼いで行く。
(千)「なんかさこの泥、昨日の岩木山の下りを思い出すんだけど。」
(あ)「本当だね。岩木山も八甲田も同じ土質なのかもね。」
(千)「両方とも火山だよね。岩木山が富士山みたいにとがっていて、八甲田が平らな感じなのは、爆発の仕方の違いってこと?」
(あ)「そうかもね。八甲田は複数回に渡って色んな部分が爆発したから、たくさんピークができて平らな部分もあって。」
(千)「じゃあ岩木山は1回?」
(あ)「うん、、。1回というか、初回の爆発がすごく巨大でそれでおおよその形ができた、みたいな。」
素人の2人は、岩木・八甲田という山容が対照的な二座の地質学について思いを馳せる。後で調べてみたところ、 岩木山の噴火活動は約30万年前に開始し、第1期の活動でほぼ今の山体が形成され、続く第2期、第3期では、崩壊山頂部の溶岩ドームが形成された。対照的に、八甲田山は南八甲田火山群、北八甲田火山群、八甲田カルデラからなる複合火山帯であり、それぞれの火山群に複数の小規模成層火山が含まれている。

2人の想像は当たらずとも遠からずという感じ。

仙人岱の辺りで「八甲田が山の中で一番いいと思います。」という地元のお兄さんに会う。夏は北八甲田を中心としたハイキング、冬は南北両方の山スキーと、四季折々の楽しみ方ができるという。八甲田を山スキーで自由自在に滑走できる技量があるのが羨ましい。

最後の急登を上り大岳に着いたが、残念ながら山頂だけが強風の中で霧の中に包まれている。しかしそこには50人を越える登山客がいて、山頂写真を撮るのに10分近く順番待ち。

風も強いので体がすぐに寒くなり、手袋を忘れた私は千春ちゃんから予備の軍手を借りて、大岳非難小屋へ下り登り返して赤倉岳へ。ここでは霧がさっと取れて大岳、井戸岳、そして赤倉へ続く稜線と、広大な湿原である毛無岱の全貌が現れた。



毛無岱を見渡す。



八甲田山とは、いくつもの、亀の甲羅のような頂き、そして田んぼのように平らな湿原を抱いた峰々という意味で、その由来がよくわかる。薄く赤黄色をおび始めた毛無岱の雰囲気が、紅葉の最盛期には人を圧巻させる姿になるであろうことを感じさせる。

ここから東北方向に伸びる稜線伝いに歩いて田代平に降りる山道がある。昭文社の地図では点線となっているが、今日泊まる田代平近傍の民宿又兵衛のおやじさんには「大丈夫。迷うことはありませんよ。」と言われ、私はこのコースを試みることにした。最初は笹薮だけれど踏み跡もそこそこにあり、火口の写真を撮ったりして進むが10分もしないうちに、わずかなふみ跡→けもの道→ひどい薮こぎ→歩いた形跡なしという風に変貌し、私の心の中には、まるで妖気を感じたときに鬼太郎の髪の毛がぴんと立つように、やばい信号が赤々と点滅し始めた。天候はよく、進むべき稜線とその下の田代平周辺の建物の屋根は小さくもはっきりと見えるのだが、、
「千春ちゃん、怖い?」
「いや、怖くはないけど、なんかすっごく大変じゃない?」
「うん、ちょっと、、このまま田代平まで下れるとは思えない。やっぱり帰ろう、元の稜線まで。」
「それでどうするの?」
「ロープウェイで降りる。その先は後で考える。たぶん、ヒッチハイクかな。」
勇気ある撤退。2人は来た道を引き返し、



不安な思いをさせてしまいごめんなさい。



15分程かかって元の分岐点に帰ってきた。私はふーっとため息をつく。又兵衛のおやじさんは何を根拠に「大丈夫」と言ったのであろう。ひょっとしたらおやじさんは一般人とはかけ離れた山の達人で、その感覚での意見だったのだろうか。

子供づれの多い田茂萢湿原を散策し、田茂萢岳から津軽湾を眺め、映画「八甲田山」のパネル展示があり100人近い人が並んでいるロープウェイ乗り場に到着。平和で賑やかな山域と、先ほど迷いかけたけもの道、あまりに対照的である。ロープウェイは約8分で大勢の乗客を標高660メートルの駐車場に送り届けた。私たちは観光バスやタクシーの止まっているところを横切って県道を歩き始め、道路が比較的まっすぐな場所で手を上げた。すると2,3台後の車が止まってくれヒッチハイクをお願いすると「私も今日山登りだったんですよ。」というおばちゃんは快諾してドアを開けてくれた。私たちが行く方向は県道242線の田代平湿原、おばちゃんは青森への帰途だったのでその分岐まで乗車させていただく。

そこからは再度歩き始めたが、また頃合を見計らって手を上げると運良く一台の車が止まってくれた。乗っていたのは40代と思われるご夫婦で、私が帽子を取りながらヒッチハイクをお願いすると、
「もちろんいいですよ。でも後ろが汚くて、ちょっと待ってくださいね。今片付けますから。」
とあわてて後部座席を空けてくださった。乗車して色々と尋ねているうちに、奥さんは札幌出身、だんなさんは青森出身で、今お二人は八戸在住ということを知り、学生時代に札幌に住んでいた私、出張でよく八戸に来る千春ちゃんはこの偶然に驚いてしまった。
「これも何かのご縁かもしれないですね〜。」
とにこやかに笑う奥さんに、だんなさんは
「お前、せっかくだから後藤伍長の碑を案内したらどうだ。俺は駐車場でまってるから。」
と言った。

山岳史上最大の悲劇、八甲田山の遭難は明治35年、日露開戦の直前に起こった。徳島大尉碑切る弘前第31連隊は、綿密な準備、的確な隊員選出によって11日間に及ぶ八甲田雪中行軍を成功させたのに大使、神田大尉、山田少佐率いる青森第5連隊は、準備不足、指揮系統の乱れなどにより210人中199人が死亡するという大惨事に至った。後藤伍長は神田中尉から斥候を命じられ、山麓に向かう途中直立した状態で仮死状態となるが、救助隊の蘇生処置によってかろうじて命を取り戻した。奥さん、千春ちゃん、私の3人は駐車場から数分歩いて、見晴らしのいい丘の上に立つ後藤房之助の銅像の前に立った。信じがたい個人的な体験を直接的に知ると、戦争はあってはならないと思う。しかし戦争の耐えなかった人間の歴史や、ヒトが生来持つ本能を省みるとそれは不可能という思いになる。

この碑の周りには桜の木が何本も植えられており、私達が昨日弘前城を見学したことを言うと、奥さんはにっこり笑った。
「本当に、本当に、弘前城の桜はきれいですよ。枝がしなるほど花をつけて、内堀は一面ピンク色になって。秋田の角館もいいです。あそこは白壁の蔵が並ぶ町並みがあって、弘前のお城とはまた違うんですよね。」

この後私達は田代平湿原を見に行く予定であることを言うと、
「そうですか。実は、私達も隣の八甲田温泉に入ろうかと思っていたんですよ。よかったら探索の間、私達は温泉に入って待っていますよ。」
と奥さんは言う。私達はその親切に深くお礼を言って、駐車場から秋の香り漂う湿原の探索に向かった。ほとんど人がいない中、途中で、木道にしゃがみこんで植物の調査をしているご夫婦に出会った。
「いやあ、ただの趣味でやっているだけなんですが、、。」
という言葉とは裏腹にそのご夫婦、とても博学。
ここ2〜3年、夏の暑さとそれに伴う湿原の乾燥化が厳しく、急速にヨシが増えてきている。どこにでもある草のように繁茂しているのがヌマガヤで、もうしばらくすると紅色に染まる。この湿原にはヤチヤナギ(ヤマモモ科)といういい香りのする珍しい低木がある。湿原も一見動いていないように見えるが、実は環境変化に応じて植生が大きく変わっている。
「本当に今年の暑さは異常で、ここ1週間ぐらいなんですよ。少し寒くなったのは。」
「私達も今日八甲田に登ってきたんですけど、紅葉はまだまだでした。例年より1〜2週間遅いみたいですね。」

ちょうど1時間ほどかけて駐車場に戻ると、既に八戸のご夫婦は車の中で新聞を読んで待っていた。
「すみません! お待たせしました。」
「大丈夫ですよ。湿原はどうでした?」
私達は、地元の人から色々と植物の話を聞けたことを話した。
「温泉のほうはどうでしたか?」
と尋ねると、
「実は、今日内湯がやってなかったんですよ、、。だから入らずに待っていました。」
と聞いて私と千春ちゃんは驚いた。2人はただ、私達の湿原散歩のために待っていてくれたのである。
「でも、ゆっくり新聞とか読んでいたんで、全然気にしないでくださいね。」
とご夫婦はどこまでも優しい。
「今日はどこにお泊りですか? 確かここからもう少し行ったところですよね。」
「民宿又兵衛っていうところです。」
「聞いたことある。お父さん、いつだったかきのこ鍋を食べたところじゃない?」
「なんかそんなところあったなあ。」
ご夫婦は車で、北東北のメジャーな温泉どころはほとんど回っているという。田代平湿原から2キロほど離れた民宿又兵衛にはすぐ着き、2人は深々と頭を下げてお礼を言った。うっかりしていて連絡先を聞き忘れたことが悔やまれる。八戸在住の仲良しご夫婦、心から深謝いたします。

というわけで2台の車にヒッチハイクさせて到着した民宿又兵衛は、田代湿原にある木造家屋の一軒宿だった。中に入った土間にはみやげ物が並び、その奥には台所、右側は一段高くなった広間で、囲炉裏もしつらえてあった。
「すみません。予約した内田です。」
「はーい。お待ちしておりました。」
と台所からおかみさんの声が聞こえ、2人は奥の客間に案内された。宿泊人数に余裕があったのか、その部屋は15畳近くの大部屋で、荷物を整理した後2人はゆっくり温泉に入った。漆黒の木で作られた湯船に浸かって、今日も無事に終わったと安心する。

18時から始まった夕飯は、きのこ鍋、みょうがのみそ焼き、きゅうりの酢の物に、きのこの和え物。どれも炊き立てのご飯によくあっておいしい。



民宿、又兵衛の夕飯。



天井の高い広間には、私達以外に黙々とご飯を食べている3人の男性がいるだけでどうも観光客ではないらしい。しらばくしてその中の1人が
「山登りにでも来たのかい?」
「はい、そうです。今日八甲田に登って来ました。」
「よかったら、そっちにいって話してもいいかな。」
一緒にお酒を飲むことになった。

彼らは、約2ヶ月間ここに泊まって土質調査を行っている土木コンサルタントの人たちだった。声をかけてきたリーダー格のおじさんは50代、その次のお兄さんは30代後半、一番の若手は平成生まれの若者だった。日本には各地に、採石所から出た有害物質などを地中深く埋めて処理しているところがあるが、それは巨大地震のときに漏れ出す危険性がある。そのため今全国で土質の強度を再測定しており、彼らは田代平湿原で同様の調査を行っている。出張の多い仕事で、今回の青森出張は3〜4日後に終わる予定だが、週末をはさんで次の月曜には新潟か山形に飛ばされるという。本社のある木更津にいるのは1年の半分にも満たない。そんな彼らの楽しみは1日の仕事が終わったあとのお酒であるが、毎日同じメンバーではさすがに飽きが来て、今日は若い(?)女の子が二人。嬉々として声をかけたのであった。

平成君は、秋田県の水産高校出身で卒業に必須の授業が能代からハワイまで半年に及ぶ遠洋漁業体験だった。
「やだっていっても能代でたら、次の寄港地はもうハワイだったんで。」
とさらりという彼は共同生活にかなりの免疫があるらしく、この2ヶ月間の24時間上司と一緒の出張はそんなに苦にならないらしい。千春ちゃんは、会社の上司の顔を思い浮かべてだろうか、「すごい! 私だったら耐えられない!」という。
私が驚いたのは、ここから10時間かけて木更津の本社に資材を取りに帰り、積んですぐにまた10時間かけて帰ってきたという話。
「宅配してもらうって言うのはできなかったんですか?」
「定形外の大きな資材だったんで、頼むとすごく高くついたんですよ。」
ダンボールに入るような代物ではなかったのか、と納得。

彼らのおごりで私達はビールや日本酒をご馳走になり歓談していると、引き戸が開けられて紺がすりの半纏を着た又兵衛のおやじさんが帰ってきた。

年の頃70代後半、しかし肩幅広く足腰のたわみもなく、大きく見開かれた眼は、雪国で生まれ育った屈強な肉体と、
「おーう、予約いただいたお客さんやな。」
広間に響く大きな声は、愛嬌ある人柄を感じさせた。
「大将。」
リーダーのおじさんはそう呼び、
「尺八弾いてやってくださいよ。今日はお客さんもいるし。」
といった。大将は、今日知人の結婚式に参加して余興に尺八を弾いてきたという。彼は下駄を脱いで土間から広間に上がり、持っていた黒いケースを開けて尺八を取り出した。そして自分が尺八を吹くようになったきっかけを語った。大将の青森弁は70パーセントぐらいしか理解できなかったが、要約すると、大人になって邦楽に興味が沸いたが、三味線、お琴は小さい頃からの鍛錬が必要と言われ、自分は消去法的に尺八を習い始めた。いつしかそれも35年の付き合いになり、今は地元ではちょっとした弾き手で、津軽三味線の第一人者、高橋竹山とも競演したことがある。

大将は、両の手で尺八を番え、ふっと息を吸って吹き始めた。波打った音色が広間の中に広がって私たちの耳を打つ。時に力強く、時には消え入るほど細くせつない尺八の音に、皆下を向いて聞きいり、大将はその中で一曲を静かに弾き終えた。一瞬の沈黙をおいてわっと拍手が起こる。大将は満面の笑みになり、私たちの座に加わった。

そして、今夜の鍋のきのこは全て自分が山で取ってきたこと、この宿は山スキーのシーズンが一番混むこと、その時は一部屋に十人ぐらい寝てもらうこと、ここに泊まってねぶた祭りに繰り出すお客さんもいること、などを語り始めた。

それにしても青森弁は聞くのに集中力がいる。英語のリスニングテストみたいな感じでちょっと気が緩んで何かを聞き逃してしまうと、その後は全くわからなくなってしまうのである。しかし、
「なあ! そうおもわねか。」
と豪快に笑いながら大将に肩を叩かれると、つられて笑いながら頷いてしまうのだった。

私は今日山頂から田代平への山道で危うく迷いそうになり、引き返してロープウェイで降りて、ヒッチハイクしてこの宿についてことを話した。すると、
「あ〜、あの道なあ、昔は使う人もいたんだけど、最近はほとんど人も歩かず、かなり状況は悪いらしい。」
大将! 教えてくれたことと全く逆! と思ったが、すばらしい尺八の音色に免じて水に流した。山道の様子は、特に人が歩いていないと想像以上の早さで様子が変わってしまうことがある。その場で適切な判断をして臨機応変に対応しないといけない。

この後も木更津3人組と私たちは歓談し続け、カラオケセットもあると言われ、何曲か歌ってしまった。10時過ぎ、リーダーのおじさんがうつらうつらと眠り始めて、場はなんとなくお開きの雰囲気となった。

実は、彼ら3人は昨日の夜から今日の明け方まで飲んでおり、夕飯時にもかなりお酒が残っていたらしい。その状態で声をかけられたのは幸運だった。しらふの状態で一緒に飲み始めたら完璧につぶされるところであった。

夜は石油ストーブをつけて少し部屋を暖めた後、布団にもぐりこんだ。
珍しく夜中に起きた。布団の上で体を起こすと、空気がぴしりと凝縮されて冷気を放っている。私は酒覚ましをかねてもう一度温泉に浸かった。

10月8日(月曜日)

朝6時起床。身支度を整えて広間に行くと土間には朝日が降り注ぎ、机の上にはとろろ芋をまぜた味噌汁、焼き魚、卵、漬物と純和風の朝食が並んでいた。紺がすりの大将は、今朝も相変わらず調子よく、木更津3人組も今朝は仕事の作業着を着ている。私たちもしっかり朝ごはんを食べて支払いを済ませて、7:20に北八甲田の東側に位置する谷地温泉へ向けて歩き始めた。緩やかな登りが続く約8キロの行程である。

3日目の今日が一番天気がよく、八甲田山には寸分の雲もかかっていない。道は山麓を時計回りに巻くように進み、前方には紅葉の始まりかけた山塊が蒼空を背景に、堂々とそびえる。私はその景色を楽しみながらマイペースに歩き、千春ちゃんはその私に遅れじと一生懸命ついてきてくれた。

9時10分発のバスに乗って蔦温泉へ。ひなびた一軒の温泉宿の裏に続く蔦温泉の森は、昭和初期まで開拓民によって材木を切り出すために使われていたが放棄された後、林床が明るくつる植物の繁茂する森林になったという。蔦七沼と呼ばれる湖沼群は、八甲田山の伏流水でできており日本有数の透明度を誇る。2人は鳥の声を聞きながらゆっくりと林の中を散策し、マイナスイオンをたくさん浴びた。



蔦温泉の森林内を散策。



ここからまたバスに乗って移動した上ヶ戸は、奥入瀬の入り口。観光バスもたくさん止まりログハウス風のお店は多くの人で賑わっており、その横を通って二人は渓流沿いを歩き始めた。

十和田湖に流れを発し、八戸市の北部で太平洋にそそぐ奥入瀬川は全長87キロメートルあり、上流部の渓流はいわずと知れた青森県の大観光地。落葉樹林の樹冠から差し込む日の光が川面に反射しながら生み出す造形、そして体の奥底に染み渡る川の音には、無尽蔵の浄化作用があった。川の中には、時々イワナと思われる魚がいて、中には交尾中と思われる寄りそった2匹も見られた。

阿修羅の流れ、雲井の滝、九段の滝、と数々の名瀑が続き、体が浄化されてきたのはいいが朝から歩き詰めでさすがに疲れてきた頃に、壁のように立ちはだかる銚子大滝に到着。この高さ3メートル近い、まるで人工物のような絶壁は万が一にも魚が遡上できる可能性はなく、そのため1855年にイワナの放流が始まるまで十和田湖に魚類は生息していなかったという。



銚子大滝



ここから十和田湖の子の口までは流れが緩やかになり、そして14時10分、2人は上ヶ戸からの9キロを無事に歩ききり深い青色に光り輝く十和田湖に到着した。千春ちゃんはここから1425分発のバスに乗って新幹線の止まる七戸十和田駅へ、私は十和田湖遊覧船に乗って南部の休屋港に向かう。
「3日間、つきあってくれてありがとう。」
「いや今回も楽しかったよ。また誘ってね。」
私たちは、店先で買ったきりたんぽを食べながら、しばし十和田湖の湖面を眺めた。

子の口〜休屋までの約50分の遊覧船のチケットは1400円で観光地としては適正価格。しかし優に200人は乗れると思われる船に乗っていたのは多く見積もっても30人で、三連休なのに経営は大丈夫かしらと心配になるが、紺碧の空と湖面に向かって船はゆっくりと出発した。

アナウンスが十和田湖にまつわる色んなことを説明してくれる。約3万年前に起こった十和田火山の噴火のカルデラ湖であること、最深部は約327メートルあること、八郎太郎という龍神伝説があること、大町桂月が十和田の美しさを「山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つずつ」と詠んだこと。本当に今日の青空と湖面は鏡のように呼応して美しさを増しており、思わず感嘆する中、船中で配られたりんごジュースはさらに私の幸福度を高めてくれた。

休屋に到着。予定のバスまでまだ時間はあるのだが、、と思いながらバス停の方に歩いていくと、なんと1530に盛岡行きの直行バスがあることがわかった。休屋の集落の散策もしてみたかったが、2200円で盛岡に直行できるのは、十和田南、鹿角と乗り換えていくよりも遥かに楽で値段も安い。また今度来よう!と心に決めて、私はそのバスに乗り込んだ。

盛岡まで約2時間のバスの中は、疲れた体を休めるのに最高だった。バスに揺られながら眠り、途中、進行方向右手に岩手山の雄大な姿を見て、また眠りに落ち、すっかり暗くなった時刻に盛岡駅西口に到着。夕飯をご一緒しようと約束をしていた盛岡在住の友人は、私が予定より2時間以上も早く盛岡に到着したため、あわてて家から駆けつけてくれ、北上川にかかる橋を渡って市の中心部に行き居酒屋に入った。

林学の研究所に勤めている彼は、最近は田沢湖をフィールドにして「バイオエタノール製造のために幹だけでなく枝葉も全て除去するのは、森林の炭素窒素循環にどのような影響を及ぼすか。」という研究を進めている。効率のよいバイオエタノールの生産方法の研究はよく聞くが、その一方で彼の研究のような観点もある。
今日乗った十和田の遊覧船は、とても景色がよくて楽しかったが乗船客の少なさに驚いた、という話をすると
「近年になくなるっていううわさだよ。今乗っておいて良かったね。」
とのコメント。しかし遊覧船がなくなれば、十和田湖は原始の静寂さを取り戻すかもしれない。などと、もう乗船してしまった身としては勝手なことを思う。

夕飯を楽しんだ後は、盛岡藩南部氏の居城であった盛岡城、花崗岩の割れ目に種が落ちて育ったという謂れのある石割桜を見学。23:20、盛岡駅西口を出発するバスに乗り、私は3日間を振り返りながらバスの座席に身を委ねた。