アミーゴ、アボカード!!


大田区池上の自宅から、蒲田駅まで約20分の通勤路。寒かった冬も徐々にシベリアに退き、いつの間にやら色々な木々が春の準備をしている。だいぶ膨らんだ木蓮の芽、蝋梅や万作は今が満開。マテバシイやクチナシなどの常緑の木にはやわらかい黄緑色の芽吹きが見られ始め、カナメモチの芽吹きは淡い紅色を呈している。

見かける街路樹の大半はわかる。
名前がわかると親しみが湧く。

ところが、ある角を曲がった家の庭に、一つだけわからない巨樹があった。



謎の巨樹



真下に立って、じっと葉っぱを見る。
朝鮮朝顔に似ていなくもないがこの木は常緑だから違うし、大きすぎる、。
柿だろうか、でも柿にしては鋸歯がありすぎる、、。
植物図鑑に当たってみても、いまいちしっくりするものがない。

コヤツ、何者?!
それが、私と池上町のアボカドの木との出会いだった。

ある朝、その家の奥さんが庭の木々に水をあげており、私はその謎の大樹を見上げながら尋ねた。
「おはようございます。ちょっとお尋ねしたいのですが、この大きな木は何でしょうか?」
「これですか? 実はアボカドなんですよ。」
「アボカド?!」
私は思わず聞き返した。
「ええ。市販のアボカドの種を植えたら勢い良く目が出てきて庭に移してやったら7年でこんなに大きくなったんですよ。」
アボカドの木は10メートル近い高さはあるだろう。毎年約1メートル30センチずつ伸びたことになる。
「実はなるんですか?」
「それが残念なことに、ならないんですよ。アボカドって雌雄異熟(しゆういじゅく)って言って1本の木じゃ実がならないんですって。」
と奥さんは教えてくれた。

数週間後、私は谷川連峰の馬蹄形という縦走路を登りに行った。土合駅からスタートし白髪門、朝日岳、清水峠、蓬峠、茂倉岳、谷川岳と歩くこのコースは、全長約37キロ、1日で歩くためにはかなりの脚力を要する。

この日持っていった行動食にアボカドがあり、私は朝日岳の山頂でその鮮やかなエメラルドグリーンの果実を食べた。

種は中身がしっかりと詰まった感じがある。これがあの巨樹になる可能性を秘めている。私はその種をリュックにいれて馬蹄形を12時間かけて縦走し、家で育ててみることにした。名付けて、
「馬蹄形アボカド」。

アボカドの種は上下があり、その下部に十字の切り目を入れると発根を促すことができる。植えつけて1〜2ヶ月後にやっと芽を出したアボカドはみるみる大きくなり、鮮やかな緑色の葉をつけるようになった。



芽が出てきた。うれしい。





わさび・アボカドトーストを作ってみました。



日本のいたる所に街路樹として育ち、明治神宮のご神木でもある楠。実はアボカドはこのクスノキ科の仲間である。

クスノキ科(Lauraceae)
ワニナシ属(Persea)
アボカド(P. americana Mill.)

アボカドは別名「森のバター」と呼ばれ、その所以は高い脂質含有量にある。多くの果物は成熟する過程で水分に糖分が蓄積されてゆくが、アボカドは水分に脂質が含有されて行くという特別な性質を持つ。そのため、アボカドの脂質酸総量とカロリーはその他の果物に較べて遥かに高い。そしてこの脂肪酸は80パーセント以上がオレイン酸(オメガ9)を主とする体にいい不飽和脂肪酸であり、かつ抗酸化作用を持つビタミンEも多量に含まれる。アボカドは美容と健康ブームの時代の波に乗り、過去10年間で輸入量6倍増という驚異的な伸びを見せている。

脂質 カロリー
アボカド18.7g187kcal
りんご0.1g54kcal
みかん0.1g45kcal
バナナ0.2g86kcal
メロン0.1g42kcal


でも不飽和脂肪酸って何なんだろう? なぜ身体にいいのだろうか? なんとなく飽和している方がいいんじゃないか? 知識皆無の私だったが、アボカドの不飽和脂肪酸について取り組んでみた。

不飽和脂肪酸:炭化水素基に不飽和結合を持つ脂肪酸。天然油脂や蝋の成分として広く分布する。植物油に多く含まれるオレイン酸やリノレン酸などは、血中コレステロールの低下作用などを持つとされる。(広辞苑)

ビタミンE:植物性油脂に多く含まれる脂溶性ビタミン。脂肪などの酸化防止作用および膜安定化作用をもつ。化学的にはトコフェロールおよびトコトリエノールで、それぞれα・β・γ・δの計八種がある。(広辞苑)

1811年、フランスの偉大な科学者シュヴルールは、脂肪酸を分画して、固体成分は「飽和鎖」から、液体成分は「不飽和鎖」からなっていることを発見した。その後100年以上に渡って生体内における脂肪酸の役割、代謝、栄養学的、医学的側面からの研究が行われてきた。

飽和脂肪酸、不飽和脂肪酸は、両方とも細胞膜の主要構成物質である。不飽和脂肪酸は、二重結合を有し炭素鎖が折れ曲がっているという立体構造が、細胞膜に流動性、柔軟性を与えると言われている。そのため不飽和脂肪酸は血液をサラサラにして動脈硬化を防ぐ効果がある。

というのがつい最近まで一般的に受け入れられていた「不飽和脂肪酸」への見解であった。



マグロ・アボカド丼を作ってみました



ところが!

ここ近年は、不飽和脂肪酸の中でもn-3系列の不飽和脂肪酸(以下、n-3)とn-6系列の不飽和脂肪酸(以下、n-6)の比率が注目されるようになっている。これはメチル基末端から数えて一番最初の炭素二重結合の位置を表したもので、n-6/n-3の比率が高いと心疾患の発症(1 Lands WEM, 2007)、さらに情緒不安定(2 岡田斉、他)を引き起こすと懸念されている。

このことから、体にいいと言われていたはずのn-3のリノール酸、さらにn-6/n-3比率が高いコーン油、グレープシードオイル、ゴマ油は様相一点、健康を害すると言うレッテルを貼られるようになってしまった。

しかし、ここで留意したいのは、n-6/n-3比率が全てではないということである。

n-6/n-3比率は高いが、グレープシードオイルはコレステロール含有量が0であり、抗酸化物質であるポリフェノールを多く含む。コーン油は光酸化の原因となるクロロフィルを含まないため長期の貯蔵に向いている。ゴマ油に含まれるセサミンは肝臓にて活性酸素を取り除く作用を持つ。

一長一短。

しかし、最近の日本の生活習慣病の深刻化を鑑みると、多くの人が油分と糖分と塩分を過剰摂取していることは間違いない。

それでは、何をどう食べるのが体にいいのか。
数学者かつ哲学者であったピタゴラス(BC570頃〜)が思考能力を鋭くするために信じ実践した「菜食主義」、日本古来からのことわざである「腹八分目」、貝原益軒著、養生訓にある「五味偏勝をさける(偏ったものの食べ方をしない)」あたりに集約されると思うのであるが、いかがであろうか。

そんな風に思索しながら作った今夜のおかずは、アボカドの豆腐、明太子のせ。



明太子とアボカド、けっこう合います



アボカドは、メキシコのプエブラ州の洞窟から品種改良のあとが見られる種子が発見されており、少なくとも10000年前から栽培されていたと推定されている。また、その名前はアステカの先住民、ナワトル族の言葉「ahuacatl」に由来し、その意味は睾丸である。

何故そんな名前なのだろうか、あまりに露骨な呼び名である。
紀元前より栽培され、豊富な栄養分を含む重要な果物を性器と同名で呼ぶだろうか?

形状から名前が付けられた果物に、東南アジア原産のドリアンとランブータンがある。マレー語でドリ(Duri)は棘、ランブ(Rambut)は髪のことで、ドリアンは「棘の生えたもの」、ランブータンは「髪の生えたもの」を意味する。



ドリアンとランブータン



パプアニューギニアには、神様が泥にバナナを挿して男を創ったという創世記の伝説がある。しかしその語源はアラビア語のバナーン(手足の指)と言われ、性器とは関係がない。

割れ目のある桃の果実を女性の性器に見立てて腿と桃を同起源とする説があるが、桃の場合、実が多く成ることから「百(もも)」、もしくは「真実(まみ)」が転じたという説のほうが有力である。



姿は似れど、、、。



あからさまに、名前と性器の呼び名が同じであるものは、アボカドしかない。そのことにある種の不自然さを感じつつ、メキシコの歴史に関する書物を繰っていると、ある女性の名前が浮かび上がった。

マリンチェ

1519〜1521年にかけて、アステカ帝国がスペインによって滅ぼされたときに、コルテス提督の娼婦かつ通訳として仕えたナワトル族の女性である。
マリンチェは、アステカ帝国の支配下にあったパイナラ村の首長の娘として生まれ、首都テオティワカンの都で当時の高等教育を受けた。しかし在学中に父が不慮の死を遂げ、再婚した母から疎まれるようになり、17歳の時にユカタン半島沿岸のタバスコの村に奴隷として売られる。不運なる境遇に陥りつつも、類まれなる語学能力を持ったマリンチェは母語のナワトル語に加えて、タバスコの地ですぐにマヤ語を習得した。そして、1519年にユカタン半島に上陸したスペインのコルテス提督に見込まれ、他の若い女性らとともに彼女は娼婦として買われた。

この時コルテスには、捕虜として8年間マヤの地にすみスペイン語とマヤ語のバイリンガルであったスペイン人のアドリーズが仕えていた。マリンチェは、アドリーズと組む形で、スペイン語、マヤ語、アステカ語の通訳として重宝されることとなる。

上陸してから首都テオティワカンに行軍して行く過程で、マリンチェはコルテス軍の先鋒として部族の一女性を装い、様々な諜報活動を行った。その結果、当時のアステカ帝国の王モクテスマの支配下で重税に苦しむ諸族の民らには、多くの不満、謀反の意があることがわかった。さらに、アステカの民は、遥か昔に人々に火の使い方や農業を教えたアステカの皇帝かつ神でもあったケツァルコアトルの存在を信じていた。ケツァルコアトルは人身御供に反対したために王位の座を奪われ、アステカ帝国から追放される。しかし「セーアカトル(一の葦の年)に東の海より復活する」と宣言してアステカの地を立ち去った。

運命の神が暦を弄んだとしか思えない。コルテスがユカタン半島に上陸した1519年は、奇しくもその復活の年と同じだった。
伝説ではケツァルコアトルは白い肌の髭を蓄えた風貌だったと言われる。アステカの民の中にはコルテスをケツァルコアトルと同一視する者も疑問視する者がいたが、誰もその可能性を完全に否定できる者はいなかった。

コルテスがこの状況を利用しないはずはなかった。

彼はマリンチェに命令して、モクテスマに不満を抱く諸族らとは同盟を結び、かつテオティワカンからの使者には自分がケツァルコアトルである旨の弁舌をさせ、敵ではなく神の再来として歓迎を受けながら首都に入城したのである。コルテスの軍隊は堅牢なテオティワカンの要塞を外側から攻撃して落とす戦闘力はなかった。しかし、ケツァルコアトルとして城壁の中に迎えられたときに、その状況は一変した。1521年1月に始まった半年に及ぶ戦闘の結果、テオティワカンは陥落。城内にはスペインの国旗が翻った。

マリンチェの通訳はスペイン側にとっては最大の功績となり、アステカ側にとっては最大の裏切りとなった。わずか数年で滅びたアステカ帝国の敗因は、言語工作だったとも言われる。

テオティワカン陥落から2年後、マリンチェはコルテスの息子を産み、彼はインディオと白人の間に生まれた初のメスチソとなった。このことから、マリンチェはアステカ帝国の裏切り者と称される反面、新生メキシコの聖母としての側面も持つ。

時の権力の代弁者として声を発したマリンチェだったが、彼女自身が書き残したものは何も残ってはいない。スペイン側に仕える身として、限りなく限られた自由度の中で、彼女が意図的に誤訳した言葉はなかったであろうか。

私は、あのエメラルドグリーンのクスノキ科の果物には、正式名称と、睾丸という隠語の2つがあったのではないかと思う。しかし、スペイン側の人間には隠語のほうしか伝わらなかった。

想像してみる。
コルテスが、初めてアボカドを見たのは、いつだっただろう。
「Que es eso?」(あれはなんだ?)
と尋ねた彼に、マリンチェは答えた。
「アボカドといいます。」
「意味は?」
「ただの名前ですわ。」
マリンチェは、そう返答しただろうか。
それとも、その呼び名のもう1つの意味をコルテスの耳元でささやいて、2人でベッドで笑いあったのだろうか。

どちらにしても、それは見事な比喩だった。君臨者として、アステカの民に対して、人身御供の禁止、ピラミッドを初めとする礼拝所の取り壊し、教会の建設、作物の栽培と、様々なことを指揮、命令するスペイン人が
「睾丸を収穫せよ。」
「睾丸を箱詰めにして船体に載せよ。」
と言うのである。被支配者達は陰で笑った。

アボカド、それはマリンチェの、コルテスに対する憎悪、恐怖、尊敬、愛情の感情が入り混じった呼び名だったのかもしれない。



今夜はグワカモーレ(メキシコ生まれのトマトとアボカドのソース)を食べよう。



かくして、エメラルドグリーンの睾丸は、海を渡った。

1750年インドネシア、1809年ブラジル、1890年フィリピン、1958年スペインのコルシカ島にアボカドは導入され、日本にも大正4年に初めてアボカドが持ち込まれた。現在はメキシコからの輸入量が減少する冬に成熟するベーコン、フェルテという品種を作っているアボカド農家が、和歌山と沖縄にある。



スーパーで購入したアボカドについていたシール。大半がメキシコ産だが、カリフォルニア産のものも2つあった。



カリフォルニア州は日本へのアボカド市場参入を目指したが、人件費の安いメキシコにはかなわずその夢は実現しなかった。しかし、カリフォルニア生まれで日本人もよく口にするアボカド料理がある。それは、アボカドをマグロに見立てて海苔を使わずにくるくる巻いたカリフォルニアロール。



アボカド手巻き寿司!



世界生産の約7割、日本が輸入している9割以上を産出しているのは、本家本元のメキシコである。中央高原にあるウルアパンの街はメキシコを代表する一大アボカド生産地で、そこでは樹の高さは25メートルにも及び、専門の職人たちが樹に登って収穫する。

一度はやってみたい! アボカド狩り!

メキシコのウルアパンに行ったら言おう。
「Amigo! Avocado, por favor.(お兄さん、アボカドくださいな!)」



現在のアボカドの木



2012年8月27日

参考文献
あっぱれ! アボカド、(株)地球丸
栄養学の歴史 ウォルター・グラットザー著 水上茂樹訳 講談社サイエンティフィク
メキシコ市のUrban fringeの形成過程 栗原尚子
新特産シリーズ アボカド 露地で作れる熱帯果樹の栽培と利用 米本仁巳 農文協
性的支配と歴史 植民地主義から民族浄化まで 宮地尚子編 大月書店
メキシコのマリンチェ 飯島正 晶文社
1 脂質栄養 : 過去と将来の研究の長期的展望 、William E. M. Lands, 池本 敦、脂質栄養学、Vol. 16 (2007)、No. 1、pp.9-19
2 Omega-3 多価不飽和脂肪酸の摂取とうつを中心とした精神的健康との関連性について探索的検討、−最近の研究動向のレビューを中心に−、岡田斉、萩谷久美子、石原俊一、谷口清、中島滋