2015年4月11〜12日 立山弥陀ヶ原〜浄土山〜雄山〜美女平山スキー


富山のTさんと、その山レコ仲間の方々と、立山弥陀ヶ原〜浄土山〜雄山〜美女平の山スキーに参加させていた だきました。皆様、色々ご迷惑をおかけしましたが、とても楽しかったです!

同行者3人の方々がまとめてくださったヤマレコの記録はこちらです。 -----------------------------------------------------

4月11日(土曜日)

富山に行く時に毎回お世話になる高速バスは、時刻通り土曜日朝5:50に富山北口に到着。そこから地下道を歩 いて南の正面口につき、目を見張った。先月3月14日の北陸新幹線開通に合わせて、富山駅は広々としたロータ リーを持つ近代的な駅舎へと生まれ変わっていたのである。

とやマルシェなるお土産屋さん、広々とした改札口、新しく作られた路面電車の駅。それらを見ながらゆっく り歩いていくと、前方の駐車場の脇にTさんが手を振って待っているのが見えた。

「Tさん、おはようございます。富山駅、きれいになりましたね〜。」
水色の2999(剣岳の標高)のナンバーの車の後ろに私のザックを載せてもらう。このまま立山駅に向かうのか と思いきや、
「一回、宿舎に戻ります。内田さんのスキーは積んで、自分のを忘れちゃいました。」
というわけで、ちょうど満開の松川べりの桜を見がてら、一度Tさんの家に戻り、スキー搭載。そして立山方面 に出発。

今回ご同行する、Sanchan33、Tekapoさん、Redsronさんについて、私はTさんに質問する。
「Sanchan33は、石川ミリオンピークスの代表者です。今まで2〜3回一緒に行きました。」
「Tekapoさんは大阪の人なんだけど、今建築関係の仕事で富山に長期出張しています。けっこうスキーはやっ ているみたいで。」
「Redsronさんも富山の射水に長いこと単身赴任していて、一緒に行くのは今回が初めてなんです。」
ふむふむ、皆さんスキーが上手そう。明日みんなは雄山に登るだろうけど、私は無理だろうな、、。天気がよ ければいいけど、、。

という私の心配をよそに、車は雄山神社を通過して、徐々に上り坂になり、芦峅寺の集落を通り、まだ木 々の新芽が出始めたばかりの、富山地方鉄道立山駅の駐車場に、7時過ぎに到着。
「7時30集合にしてあるので、まだ余裕がありますよ。」
とTさん。スキー、ザックを取り出して、ケーブルカー乗り場へ。まだチケット売り場も開いておらず、かつ今 はアルペンルートの全線開通前。今日弥陀ヶ原に行く人数はとても少ないに違いない。

「明日美女平まで下る予定だから、今日は立山駅から弥陀ヶ原までの片道を買うんだけど、そうすると「帰り はどうするんですか」って聞かれるんですよ。本当は弥陀ヶ原〜美女平は滑走危険地域なんで、そこを滑ると いうと色々文句言われるんです。だから今回は「明日の天気を見て扇沢のほうに降りるかもしれないので、片 道」という言い訳を考えてきました。」
とTさん。

そうか、アルペンルートで未開通なのは、弥陀ヶ原〜室堂間のみで、扇沢から室堂は全て開通しているのであ る。

730分になり、まず到着したのは、大阪羽曳野市出身で今は富山単身赴任中のTekapoさん。細身で背が高く、ス キーを担いで颯爽と笑顔で現れたさわやかお兄さん。
「初めまして。Takepoです。よろしくお願いします。」
という言葉の中の関西なまりが心地よい。

その次到着した射水市在住のRedsronさんは、着くなり
「やっばい、、。ストックを忘れてしまって、、」
とのこと。立山駅には、山道具をレンタルできるお店があるが、まだオープンしていない。Redsronさんは駅の スタッフに尋ねたりして、あわただしく画策し始めた。

最後に到着したのは、手崎さんとも何回か一緒に行っているSanchan33さん。大きなザックを気軽に背負って浅 黒く日焼けした姿は、いかにも経験を積んだスキーヤーという感じ。

8時を過ぎてお店がオープンし、Redsronさんはレンタルではなくなんと新品のストックを購入。予想外の出費で はあるがこれでなんとか出発できると、ほっとした様子。そして5人は弥陀ヶ原までの片道切符を買い、8時40分 のケーブルカーに乗り込んだ。

標高475メートルの立山駅から標高977メートルの美女平までを、ケーブルカーは約8分で結ぶ。特徴は、大きな 貨車をつけていること。通常スキーや大きなザックはこの貨車に積むが、今日は乗客が少ないため、車内持 込み。私たち5人以外に日帰りスキーヤーが2〜3人。他は国内外の観光客。

美女平駅からはバスに乗り換えて、30分ほどで標高1900メートルの弥陀ヶ原のバス停に到着した。いよいよこ こから今日の登りがスタートである。天気は曇り、でも温度はそんなに低くない。皆の顔は、これから雪の立 山ということでとても明るい。私も、足手まといにならないことを心配しながら、ちょっとわくわく気分。今 日の標高差は、2831メートルの浄土山まで約1000メートル。

Tさんを先頭に、ホテルの脇から登り始める。道に迷わないように、稜線伝いにシラビソの木々の間を縫うよう にして進んでいく。急登個所もけっこうあった。Tさんがさくさくとキックターンして登っていくところを、私 は必死に時間をかけて、またザラメのトラバース斜面を誤ってザーッと滑ってしまって一苦労。Redsronさんも 息が切れ気味である。TekapoさんとSanchanは、確かな足取りで私たちをサポートしながら登ってくる。

とりあえずの目標は2521メートルの天狗山であるが、その半分を登ったところでいったん休憩。あたりは曇り でまるで展望は効かないが、ザックを下ろして行動食を口に入れる。思ったより時間がかかっており、私たち は浄土山までつけるか、もし時間が厳しくなったら室堂でビバークかなどと話し合った。

Redsronさんは相当疲れており、かつ標高が高かったからか、目まいがしていたらしい。休憩後一旦は出発した もののすぐに「やっぱりここから降ります。」と決断。私たち4人と別れて、1人下って行った。数時間後 Sanchanの携帯に無事に下山したとのメールが入り、ほっとする。

その後はややペースが上がり、13時に天狗山に到着。日帰りスキーヤーまたはスノーシューの人は、ここまで 登って弥陀ヶ原に帰る人が多いらしい。天候曇りだが無風。予報では今日の午後からよくなる予定。ここから 国見岳とのコルまでは、シールをはがしての滑走だった。霧で前方が何も見えないトラバース気味の斜面は、 私にとっては恐怖だったが、前後3人に守ってもらい無事にコル到着。ここでまたシールをつけて、国見岳に登 りかえす。

ここからも滑走だったが、曇りで前方が見えなかったため、Tさんを先頭に皆で北側に滑りすぎてしまうという ハプニングが起こった。嫌な感じの亀裂が入った急斜面を前にTさんが止まり、GPSを取り出してみる。Tさんの 見ている時間が長く、何度か困ったように上の斜面を見上げる。後ろの2人もGPSを見て、何かおかしいと感じ ている。やっぱりルートを間違ったらしい。4人は無理せず、蟹登りで元の場所に戻り、正解ルートを確認して から再出発。稜線近くをトラバースして、上部からこの亀裂斜面を振り返る。亀裂は横長に確実に入っており 、いかにも雪崩が起こりそうな感じ。無理せず戻ってよかった、、と心から思った。

コルで再びシールをつけ、ここから今日最後の登りである浄土山西面が始まった。標高的に雲の上に出て、目 の前には浄土山の雄姿、遠方に薬師岳、笠ヶ岳などが見えてきて、TekapoさんとSanchanは、歓声を上 げてカメラのシャッターを押す。今日一日の苦労が一瞬で報われるような風景に感動しながら、スキーを進める。

この浄土山西面は、等高線が何本も入った今日一番の急勾配。Tさんは上手にキックターンしていくが、私はだ んだんと及び腰になり、「あ、もうやばいかも。でも頑張れるか?!どうしよう。」と思っている矢先に、ま た斜面ザーッをやってしまった。標高差にして5〜10メートルほどなのだが、せっかく頑張った位置エネルギー を失ってしまったやるせなさが、ちょっと胸にせまってくる。

Tさん、わざわざツボ足で降りて助けに来て下さった。私はもうスキーで登るのはあきらめ、スキーをザックに括り付 け たがそれを担ぐのに一苦労。そしてツボ足で着実に登り、最後は岩場を登り切り、浄土山北峰到着。

目の前に雄山。右側には浄土山南峰と今日の宿である富山大学の小屋、その後ろに龍王岳。五色が原とその遠 方に北アルプスの峰々。360度どこを向いても絵になる感じで、Sanchanの持ってきた超軽量三脚を用いて写真 撮影。





そして小屋に到着。今シーズン初めてのため入り口が雪で埋まっていることが心配されたが、風向の関係で窓 の入り口には雪が積もっておらず、一発で開いた。中に入り、マット、石油ストーブ、テーブル、ガスコンロ の準備。私はかれこれ3回目であるが、今回初めてのTekapoさんとSanchanは、小屋設備の充実ぶりに目を見張 る。

一度は小屋廃止案が出たが、有志が募った400万円の募金を元手に、富山大学が4000万円のお金を出して2010年 に改装されたという経緯を持つこの小屋。全ての募金者、当時の学長、そして以来この小屋をメンテしている 方々に深謝である。

私は小屋に入るときに、重大な事態に気づいた。なんと、スキーブーツのビブラムソールが剥がれかけていた のである。あまりにも長すぎる(余裕で5年過ぎていたと思います、、。ごめんなさい)期間の使用による経年 劣化である。ブーツを十分に乾かした後、持っていたキネシオテープで先端部をぐるぐる巻きにして補修。

荷物を整理して一息つくと、既に夕日の時間になった。外に出ると、西方の空に真っ赤に染まった太陽が沈ん でいく。その近くでかわいらしい雷鳥が、わずかに地表が出ているところで何かを懸命についばんでいる。時 期的に、高山植物の冬芽か蘚苔類であろうか。

写真を撮り終わった皆は、再び小屋に入って夕飯の準備。皆が自分の分+皆でシェアできるものを持ってきた ので、夕飯は晩餐会となった。Tekapoさんの鶏照り焼き、ウィスキー、私の豚肉野菜生姜炒め、昆布パン、黒 ビール、Tさんのクラムチャウダー、白エビの南蛮漬け、燻製鶏肉、焼売。Sanchanは、シェアするおかずの代 わりに、豆から挽いたコーヒーを入れてくださった。

歓談。

SさんのあだなのTekapoとは、NZ南島にある「世界で星が一番美しい」と言われる湖。旅先でテカポ湖に惚れて 、2日間滞在した。

Tekapoさんはカヌーや沢登もやる人で、大阪の羽曳野からよく和歌山、奈良方面に行くという。
「十津川村?に、きれいな無料のキャンプ場があるんです。地元のおばあちゃん、おじいちゃんが時期になる と丁寧に芝生を刈ってくれて。カヌーをやる人はみんなそこに泊まりに行くんですよね。」
自然が豊かな奈良の最深部。しかし数年前の大型台風のときは、想像を上回る被害を受けた。
「○○川に、××という日本一長いつり橋がかかっていて、それが通常は水面まで60メートルぐらいあるんで すけど、それが流されたんですよ。その下流にも橋があって、その橋の上に立っている大木に軽トラが引っか かっていたんです。道が寸断されることもあって、土石流で本当にスパーッと道が寸断されているんですよ。 」
以前、和歌山で砂防の研究を行っていた友人の話によると、和歌山には龍のつく地名が多いが、それは土石流 寸断の跡が、龍の爪でひっかいたように見えるからだという。

Sanchanの生まれ故郷である山梨県は、超長距離マラソン大会県として有名。
多くの高校が、70〜100キロという想像を絶する距離のマラソン大会を決行しているのだという。しかも、完走 しないと失格、さらに翌日学校を欠席すると失格。だから、大会翌日はみんな這いつくばるようにして、教室 までの階段を登るらしい。
「普通、無理なマラソン大会をやって倒れる児童とか出たら、親とかから「危険だからやめろ」っていう意見 が出るじゃないですか。でも地元だと、両親も祖父母の代もそのマラソン大会を経験しているから、みんな当 たり前だと思っていて、そういう風にはならないんですよ。」

そのSanchanの母校は創立120周年の歴史ある高校。Sanchanが言っていた「両親も祖父母も、、、」というのが 納得できたる。山梨県が誇る長期継続されてきた100キロマラソン大会!参加したいかどうかは別として、素 晴らしい伝統ではないだろうか。

夜、外に出ると満天の星。南の空に見えるオリオン座がだいぶ西に傾いている。春の訪れとともに、オリオン とはしばらくお別れである。

夜はそんなに温度が下がらずに、もってきたダウン&シュラフで快適に過ごすことができた。



4月12日(日曜日)

5時30分過ぎに起床、昨夜の夕飯の残りも一緒に朝ごはんを取り、外に出ると見事な快晴。今日、お三方は一ノ 越から雄山に登り山崎カールを滑る予定であるが、私は前回山崎カールで、おっそろしい斜面ザーッを経験し ているので、今回はパスし、一人で室堂山荘まで下りそこで3人を待つ予定。

Tさんが私に無線機(使用CH21)を渡してくれて、浄土山の北面の滑走開始。先頭のTさんが緩やかな斜面を選 んで滑ってくれ、私がその後をひやひやしながら滑る。今日はクラストの雪が予想されたが、そこまで滑りに くいわけでもない。Sanchan、Tekapoさんは、余裕のあるかっこいい滑りでうらやましい限り。

この斜面の下部でお三方は一ノ越へ、私は一人室堂山荘へ。途中、ちょっと間違った斜面に行ってしまった時 に
「内田さん、そっち行くとたぶん急だから、ちょっと戻ったほうがいいですよ。」
とTさんから無線で連絡が入った。ありがとう、Tさん。無線はこういう風にも役に立つのですね^^

快晴のもと、私は7時40分ごろに室堂山荘到着。「Tさん、無事につきました〜。」と無線で連絡をするがレス なし。登るのに忙しいのかもしれない。スキーを脱いで、ザックを下ろして、さあどうしよう。無風、快晴、 そして暖か。目の前には雄山がそびえ、私はザックを枕にして、しばしお昼寝を楽しんだ。

8時20分ごろになり、私は起きた。目を凝らして一ノ越から雄山への稜線を見るが、何も動いているものは見え ない。夏道だと登るのに1時間。今日はどれぐらい時間がかかっているのだろうか。私は9時になったら再度無 線を入れてみようと思った。

9時過ぎになると、山荘の除雪作業が始まったり、ハイキングを楽しむ人などが見られるようになった。
「Tさん、もしもし、応答願いまーす。」
レスなし。げっ、ひょっとして何かあった?でも天気もこんないいし、スキーの上手な3人だし、、。しかし 連絡がないのはなんとも不安である。3人の携帯にそれぞれ電話をかけるが、みんな電源が入っておりません、 のメッセージ。もし、もし何かあったらどうしよう、私室堂山荘の人に声かければいいのか?室堂ホテルま で人呼びに行くのがいいのか?と妄想に駆られ始めたころ、Tさんから
「今、雄山頂上に着きました、。しばらくしてから滑走します、、。」
と無線連絡が入った。
「は〜い、了解です!!気を付けて滑ってくださいね〜。」
ああ〜〜〜、よかった!私は、安心してひゅ〜と気が抜ける気がした。

しばらくして、3人が山崎カールを滑ってくる。誰も滑っていない白銀の斜面にゆったりとした優雅なターンを 描きながら。








ああ、私も一緒に滑れたらどんなに良かっただろう。最初は黒い点に見えた3人が、徐々に大きくなってきて、 無事に室堂山荘前に到着。

Tさんによると一ノ越から雄山までは90分ほどかかり、スキーを担いで雪が混ざった岩場を登るのはかなり大変だ った。かつ、私の無線にレスがなかったのは、登っている途中になぜかチャンネルが21からずれていたためだ ったらしい。

この後は、天狗山に登りかえして、そこから昨日のルートを通って弥陀ヶ原までの滑走。
ところがこの天狗山への登り返しが一苦労。どうも私は急斜面でのキックターンが苦手なのである。しかも今 日は、登り途中でクトーの先が曲がり、ブーツのかかとが(通常なら20センチ以上上がるのに)5センチぐらい しか上がらなくなるというトラブル発生。最初は、何が原因かわからず、スキーを外して、すぐ後ろにいた Tekapoさんに見てもらってクトーを直してもらった。本当にありがとうございました、、、!

そしてようやく到着した天狗山の上から見えたのは、立山カルデラであった。富士山の噴火口を2〜3倍に拡大 した感じ。こんな巨大なカルデラの噴火が立山を作ったのか、、と改めて想う。

天狗山山頂とほぼ同じ高さの稜線伝いに、2人の人影が現われた。日帰りスノーシューの人らしい。私たちもシ ールを外して、その稜線伝いにゆるゆるとスタート。

と、その2人の人影は、なんとTさん、Tekapoさん、Sanchanの山レコ仲間のMillerご夫妻だった。ジョンレノン 風のサングラスの旦那さんと、冬山を歩きなれた感じのする三つ編みの奥さん。予期せず山で知り合いに会い 、盛り上がる5人。
「うわ〜、こんなところで皆さんに会うなんて!スーパースターぞろいや!ちょっと、1枚写真撮らせても らっていいですか?!」
旦那さんは、私たち4人をカメラに収めた。

ここからは、弥陀ヶ原までの滑走である。昨日とほぼ同じであるが、シラビソのない斜面をトラバース気味に 滑る。ちょっとザラメだが、スキーが潜り込みすぎることもなくとても滑りやすい。ターンもできる。今日の 私にとってのハイライトである。

弥陀ヶ原についたのは、12時40分近く。ここから美女平までは、条件によって2〜4時間かかるという。ちょっ と難しい箇所があるので、時間がきついということも考えて、今回は3人で滑走、私は弥陀ヶ原からバスという ことになった。

Tさんは、弥陀ヶ原ホテルに下山報告をしに行き、そこで買ったビールを飲んで一服という余裕ぶり。Sanchan がここから美女平までのルートについてTさんに尋ねる。滝見台という箇所がすごく細くて急傾斜で技術がない と難しいらしい。

私は3人を見送った後、1325分発のバスに乗車した。珍しくお隣はロシア人の観光客。車内には、中国人と思わ れる人もちらほら。今や立山も外国人観光客が多くなってきたらしい。ちょっとうとうとしたうちに、バスは 1400頃に美女平到着。とりあえず、ザックとスキーを下ろす。そして、お三方は何時に到着するかしら、と思 いながら、私は建物のすぐ外にある、立派な杉の前に行った。「美女杉の由来」という看板がある。それを読 むと、、一言一句は覚えていないが、下記のような内容が書かれていた。

「立山を開山した佐伯有頼には婚約者がいました。修行にいった有頼を追ってここまで来た彼女のことを、有 頼は「立山を開山できるまでは山を下りることはできない。」といって追い返します。彼女は、有頼のことを 思って和歌を一首詠み、近くの杉に願掛けをしました。その願いは成就し、後、二人は結ばれました。以来、 その杉は美女杉、この辺りは美女平と呼ばれるようになりました。」

おかしい、、以前聞いた、美女平の名前の由来と違う。遥か昔、立山が女人禁制だった時代に拝登しようとし た1人の女性がいた。ところが彼女がここまで登った時に神の怒りに触れて、杉(石?)に代えられてしまった 、という怖い話が由来だったはず、、。

私は首をかしげて、辺りのお散歩を始めた。といってもアルペンバスの駐車場やロータリーをうろうろするだ けなのだが、溶けかけの雪の辺縁部にたくさんのフキノトウがあるのを発見!わ〜、うれしい、蕗味噌かし ら、てんぷらかしら!そう思いながら、私はフキノトウ採取に今日の情熱を費やした。

そして、バス発着場のあたりまで戻ってきたときに、さっきの杉の前に立っていたのとは異なる「美女平の名 前の由来」の看板を発見(ここはバス乗り場の奥なので、一般の人は来ない場所である)。そこには、やっぱ り、神の怒りに触れて杉(石?)にされてしまった女性のことが書いてあるではないか!なんで説明が置き 換わっているんだ?!

そもそも有頼が結婚したというのがおかしい。聖職者の中では親鸞(1173-1262)が妻帯したという例外はある が、有頼(676-759?)の時代はそれより遥か前であり、立山開山後さらなる修行に入り、慈興という高僧にな った経緯を考えると、妻帯はもとより、いわゆる幸せな家庭生活を送ったとは思えない。

私の心中には猜疑心が沸き起こった。というのは、美女杉の説明看板は、表面的な観光客受け狙いのものとし か思えなかったからである。

美女平のお土産屋さんにいたお兄さんに、説明看板について尋ねる。
「僕はアルペンルートに勤務して20年近くになるんですけど、入社した時は、女性が杉になったのが美女平の 名前の由来だって教わったんです。その時は外にある美女杉の前の看板もその由来を説明したものでした。15 年近く立山駅勤務で、3年前に美女平駅勤務に変わったら、今のものに代わっていたんです。あれって思いまし たよ。」

やっぱりそうだ!差し替わったのである。立山が1500年近い歴史を持つ山岳修験道の山であること、女人禁 制であったことはれっきとした史実の一端であって、恥ずべきでも、隠ぺいすべき事でもない。立山の歴史を 歪曲した差し替え!修験道の展示や、現代においても様々な信仰行事を催行している立山博物館はこのこと を知っているのだろうか?これ、ちょっと、いかがわしい事態である!

(実際に立山博物館に尋ねてみました。すると、岩峅寺と芦峅寺では異なる物語が伝承されているそうです。以下、学芸員さんからいただいたメールです。

岩峅寺の伝承は、およそ次の通りです。若狭国小浜の尼僧・止宇呂が壮年の美女と 童女を従えて禅定したときに材木を跨いで進んだところ、山神の怒りにふれ、材木 が一夜にして石となりました。さらに進むと一人の女が杉の木に姿を変えられ、こ の杉を美女杉とよび、童女が怖くなって進まないでいると止宇呂尼が叱ると童女が 思わず小水を洩らしたところに大きな穴があき、ここをしかりばりと呼びます。さ らに童女は杉と化し、これを禿杉と呼びます。残された止宇呂尼は一人で進みまし たが、国見坂付近で石に姿を変えられてしまいました。この石を姥石と呼びます。 止宇呂尼が石になるとき、最後の力を込めて鏡を投げたが、それも天狗平付近で落 ちて石となり、これを鏡石と呼びます。

他方で、芦峅寺には別の伝承があり、およそ次の通りです。佐伯有頼の許嫁であっ た姫が、立山で願行を続けている有頼を慕って立山に乳母とともに訪れました。し かし途中で動けなくなり行者の小屋で有頼の下山を待つことにしました。乳母はそ の心を有頼に伝えようと姫の鏡を持って一人登っていきましたが、弥陀ヶ原を過ぎ た谷間の途中で動けなくなり、遂に息途絶えて石になり、これを乳母石と呼びま す。その時に「有頼様、姫の心を」と乳母が投げた鏡が石となり、鏡石と呼びま す。やがて下山した有頼は、行者小屋にいた姫を見て驚き、大願成就するまでは二 度と会わないことを告げ、直ちに下山するように伝えました。姫は泣きながら山を 下り、そのとき一本の杉の若木に向かって有頼との再会を祈ったとされます。その 杉は健やかに育ち、この杉を美女杉と呼び、後にその姫は杉姫と呼ばれました。

両方とも、なんらかの形で女性が神の怒りに触れて杉に代わってしまったという部分は同じです。 立山博物館は、看板作製には関与していないので、置き換わった経緯などは知らず、今度黒部観光に問い合わせてみ るとのことでした。)

と思っていると手崎さんから「道路に降ります。美女平の500メートルぐらい手前です。」という無線連絡 があり、3時過ぎに無事お三方がかっこよくスキーをかついで美女平駅に到着。

「いや〜、内田さん、来なくて正解っすよ!」
と開口一番Sanchanが言った。
「Tekapoさんがやばかった。内田さんのザーッて滑るどころじゃなくて、転落でした。」
「うん、ちょっと人に言えない失敗でした、、。」
とTekapoさん。両側が絶壁となっている滝見台の手前付近で、ターンに失敗したTekapoさんが、数メートル 転落したという。でも背中側から落ちたのでザックがクッションになってすぐ立ち上がることができ 、怪我には至らなかった。

やっぱり私行かなくて正解!そして3人が無事に帰ってきて、本当によかった、、。

ケーブルカーに乗って、立山駅に下山。2日間白銀の世界にいた身には、新芽が出始めたばかりの立山駅のロー タリーの木々の色が、とても艶やかに映った。

Tekapoさん、Sanchanは、今日はこのまま家に直行ということで、ここでお別れ。お世話になりっぱなしで本当 にすみませんでした。またご一緒できるとうれしいです!

私は、Tさんの車に乗せてもらい風の森ホテルの温泉へ。ゆっくりと温泉につかって出てくると、Tさんはスマ ホで下山完了メールを打っていた。
「山レコには、下山管理システムがあるんですよ。」
どういうものかというと、山レコに山行計画および下山予定時刻を入れて、下山を確認してほしい人(複数可 能)のメールアドレスを登録。無事下山して山レコで下山完了を行うと、登録者に「○○さんの××山行は無 事終了しました。」というメールが届く。万が一、予定時刻までに下山完了が行われないと、「○○さんは、 ××からまだ下山していません。」というメールが届く。これを受け取った人が、警察に連絡するなどなんら かのアクションを起こしてくれるという想定。
「へ〜、便利ですね。しかも確実ですね。」

この後は、1時間の運転で富山市内へ。芦峅寺の集落からやや下ったところには、いくつもの田んぼが立ち並び 、今ちょうどツクシが何百本、何千本、いや数えきれないぐらい生えていた。
「Tさん、ツクシです、ツクシです!すっごいですよ!!」
という私の感激に応じて、Tさんが
「取ってきますか?」
とスピードを落とす。ちょっと心が揺らいだが、今日は既にフキノトウがあるので止めておいた。それにして も、あのツクシ、見事な自然の恵みであった。

途中立ち寄ったスーパーでフクラギのおさしみと、タラノメなどを購入。フキノトウは、大きめが5個で298円 。ということは、今日私が集めたのは優に2000円を超える量であり、ちょっとうれしい。

スーパーを出て車に戻る途中、Tさんが「あっ!」と叫んだ。何か忘れ物でもしたかと思ったら、お隣に2999( 剣岳の標高)のナンバープレートの車が止まっていたのである。Tさん同様、山好きな人だったのかもしれない 。

東京への夜行バス出発までの時間、Tさんの家でお世話になる。

実は今週末(4月18-19日)も、Tさん、Sanchanとの蓮華温泉〜雪倉岳の山スキーの予定があるのだが、私のブ ーツは壊れてしまったため、Tさんが以前使っていたブーツを貸してくださることになった。履いてみると、ち ょうどぴったりで、私のスキーのベンディングに合うように調整。よかった、これでとりあえず大丈夫。しか し、ジルブレッタのベンディングはあまりに古すぎるので、来シーズンは新調しなければ!

山での食材と買ってきた食材で夕飯をごちそうになる。ドイツのライトビールと、八王という八尾の日本酒。 富山らしいフクラギのお刺身。フキノトウのてんぷら。レタス卵炒め。茹でホタルイカ。

今回のGPSデータも見せていただく。今日は、私は雄山と弥陀ヶ原〜美女平間をパスしているので、お三方の4 分の1ぐらいしか動いていない。すごいなあ、体力あるなあ、と改めて想う。写真も素敵である。浄土山山頂に いた雷鳥の写真が愛らしい。

そして私は2220頃にTさんの家をおいとまして、路面電車に乗って富山駅北口へ。2330発の夜行バスに乗りこみ 、爆睡して新宿についたのは630分。帰宅してシャワーを浴びて、真っ黒に日焼けした顔で出社。この日は1日 中、両腕が筋肉痛だった。

Tさん、今回もお世話になりました。とても楽しかったです。また来週もよろしくお願いします(笑)!