Parisのまちなみ


Parisの街並は、とても美しかった。凱旋門、ルーブル美術館、ノートルダム寺院、そして、街の中心を漂うセーヌ川。すべての建物が、白に近いクリーム色の壁で、エッフェル塔からは、街全体が真珠のように輝いてみえた。しかし、Parisに住んでいる人たちにとっては、これらは’鑑賞して崇める存在’ではなく、生活の一部なのだ。


私たちが滞在したのは、サクリカー大聖堂が位置する丘のふもとで、大聖堂は常に手の届くところにあった。一週間の滞在のうちに、私たちは何度もサクリカーを訪れた。朝のんびりと起きた日には、近くのパン屋でバゲットを買い、チーズとハムを持って、朝ごはんを食べに。そして、一日中Paris見物をした日の夜には、ワインを持って夜のサクリカーとParisの夜景を見に。人の似顔絵を描いているアーティストの筆さばきに感動しながら、サクリカーの一角を一周したり、手回しパイプオルガンのおじさんの心温まる演奏を聞いていたり。サクリカーの前の広場で、音楽家がハープを奏でているのを飽きずに聞いていたこともあったし、ストリートパフォーマーが面白おかしく、通行者の邪魔をしているのを長々と見ていたこともあった。そして気づく。サクリカー大聖堂の周りを散歩していて飽きなかったのは、こういう人達がいるからなのだ、と。さらに、良く思い返してみると、ルーブル美術館、セーヌ沿いを始め、Parisのいたるところに、音楽家、アーティスト、ストリートパフォーマーは、いたのである。


サクリカー大聖堂とハープの音

特に、Parisの一番中心に位置する地下鉄の構内で、ロシアの民族音楽を奏でていたグループには心引かれた。ウクライナだっただろうか、そのメロディーは、いかにも地元の人が愛していそうなもので、弾いている彼らも、ここParisで故郷を思っているのだろうと思った。依然テレビで、ロシア崩壊後、職を失ったオーケストラ奏者たちは、楽器を片手に西ヨーロッパ圏に多く流入したと聞いたことがある。私たちが耳にしたのは、そういう人達だったのかも知れない。

世界の中でもっとも有名な博物館のひとつであるルーブル。中に所蔵されているコレクションの数は膨大で、ヨーロッパの様々な絵画や彫刻、古代エジプトやメソポタミアからの品々、ミロのビーナスとモナリザもある。時間をかけて見たら、一週間あっても足りないと思われる巨大なコレクションを見て回り、時間旅行をしたかの様な気分で外に出てしばらく歩くと、ツタンカーメンがひょっこりと道の真ん中に立っている。古代エジプトの部屋で見たツタンカーメン?と思いきや、そのツタンカーメンは、道行く人が手前にある箱にお金を入れると、お辞儀をするのである。古代エジプトの王の神聖なる副葬品であるツタンカーメンが、10セントの’チャリン’という音にお辞儀する、そのコントラストがおもしろい。私たちは、悲しきかな、こちらのツタンカーメンにはまってしまい、半時間も飽きずに眺めていた。


大急ぎでツタンカーメンになる。
完成。

30秒後。

サクリカーの一角では、多くのアーティストが油絵を描いて売っている。パステルカラーの風景画を描いていた笑顔を素敵な女性のアーティストが頭に残る。また、看板や花できれいに飾り付けされたお店の入り口や窓を描くアーティスト。良くわからない抽象画や、バーでタバコを吸うひげの生えたおじさんの姿を何枚も何枚も描く人もいた。この’おじさん’の背後の壁には、’Anti-smoking campaign' (タバコ撤廃運動)のポスターが必ず描き加えてある。これが、この絵のポイントらしい。

直感的にどの人達も、経済的に豊かではない。きっと彼らは、好きなことへの情熱とバランスをとりながら、そして認めてくれる人々への笑顔を忘れないようにしながら、明日弾く曲を、描く絵を、やる芸の種類を考える。

Parisの街並の中で、懸命に動いている彼ら。建物という無機的要素と, 人間的で汗や鼓動や喜びや懸命さが息伝いに聞こえてきそうな、有機的要素が混ざって、魅力的なParisが存在している。だから私は、街並でなく、まちなみという字を当てたい。そして、またいつかまちなみを探しに、Parisを訪れようと考えている。

(30/09/03)