私がアバデーンに滞在していた3ヶ月という期間が、長いのか、短いのか。何事も変わらないかのように見えるここセピロクでも、色んなことがあったらしい。
LatipとGrandiがセピロクに帰ってきた。2人は、ここ3ヶ月の間、セピロクより車で一時間ほど離れた街の工事現場で塗装作業をしていた。しかしその仕事も一ヶ月で終わってしまい、当てもなく仕事を探していた。私は2人がセピロクに帰ってきてくれたのがうれしくて、とりあえずお酒を買って朝まで飲んだ。3ヶ月前にかしてあげたフィリピン語日本語の相互学習本は、何万回もめくった跡があってぼろぼろだった。
次の日の夜、2人は私にお願いがあるという。やや真剣そうな顔つきで、話を聞き始めると2人が持っている’Lawatan'(移民者用労働許可書)についてのことだった。3ヶ月前と違うのは、最近、Lawatan保持者に対する取締りが厳しくなっている。あるLawatan保持者が大きな犯罪を犯して、ニュースになったことが原因であるが、それに乗じて、個々の警官が道先でLawatan保持者を脅迫してお金を請求したり、理由なしに警察署に連れて行くといったことが増加しているという。また、現行のLawatanでは、サバ州内でしか働けないのだという。
’だから、お願いがあるんだ。’
Latipがいった。
’Lawatanではなく、パスポートが取れれば、すごくうれしい。サバだけじゃなく、マレーシアのどこでも働ける。でも、申請できるのは、仕事上の上司で、僕らじゃない。それをあゆにお願いできないだろうか。’
私は直感的に、そんなに簡単には取れないだろう、と思った。でも、私は2人の話をよく聞いて、入国管理局にいって申請を試みることを約束した。
次の日、Latipは実家に帰る用事が会ったので、私はGrandiと2人で入国管理局に向かった。入国管理局は相変わらず混んでいた。私は、1時間Grandiと待った後に、奥の部屋に通され、自分のパスポートと研究許可書を見せて、Latipにいわれたとおり、研究のためのフィールドワーカーとしてフィリピン人を2人雇いたい、そのために彼らのパスポートを取りたいことを述べた。結果は予想通りであった。否。その理由は、私の研究が2年間という短期間のものだからである。対応してくれた人は、見るからに、長年入国管理局に勤めている年配の人で
’君のソーシャルビザは、マレーシアの人なら雇えることになっている。しかし、移民者を雇うのはマレーシアの法に違反することだ。忠告するけど、移民者には関わらないほうがいいよ。’
と私のことを思って言ってくれた。その通りであった。部屋を出て、Grandiを促して、建物の外へ歩きながら、私はため息混じりに言った。
’やっぱパスポートは難しいみたいよ。’
Grandiも私に向かってため息をついた。
’やっぱりそうか、、、しょうがない。’
私たちはバス停に向かって歩きながら、セピロクへ帰る途中に買い物をして行くことにした。10分ほど待つうちにバスが到着、と同時に、そのバスの手前に警察のトラックが止まった。私は、そんなに気にもせずバスに乗り込んだが、警察官がその後バスに乗り込んできて、IDのチェックを始めたのである。運が悪く、そのとき持っていたGrandiのIDは、一ヶ月前に期限切れしていた。銃を肩にかけた警察官は、
’なんだ、これは。期限切れじゃないか、おい。外に出ろ。’
と乱暴にGrandiをバスの外に促した。そして、手前にあるトラックの荷台に乗るように命じている。私もすぐにバスを降りて、その警察官の行動を止めに入った。
’ちょっと待って、彼をどこに連れて行くつもり?’
’IDの期限が切れているんだ。警察署行きだ。’
私は無我夢中で連行されるのを止める理由を探した。10分前は、買い物をしてセピロクに帰るはずだったのである。こんな風に突然、平和な午後が奪われるなんて、信じられない。5人ほどいた警察官は、次々私に話しかけた。何でこのフィリピン人をかばうのか、知り合いなのか、どういう風に知り合ったのか、いつから知っているのか、私がどこに住んでいるか、何をしているか。私は、Grandiとは街で会って友達になったといううそ以外は、本当のことを言って、そして、必死で頼んだ。しかし、警察官のしていることも仕事である。これからこの車は、違法移民者たちを連れてサンダカン市街にある警察署に行くから、私はバスで来いということになった。Grandiはいった。
’Latipをこれに巻き込んじゃダメだ。’
私は、バスに乗って市街に到着する約30分の間、怒りと驚きと疑問と不安がうずまいていた。なぜGrandiは、このように連行されなければいけないのか、私がGrandiを外に出すことができるのか。2週間ぶりに来たサンダカン市街は、普段と同じに見えた。私は、警察署に行く前に、自分の住所、メールアドレス、電話番号を紙切れに書いて準備した。今日Grandiが外に出ることができなかった場合のためである。
警察署には、同じ色形のトラックが3台停まっていて、どの車からも違法移民者たちが降りてきており、Grandiが乗った車の人々は、すでに建物の中に入っていた。中に入ることを許された私は、30人ぐらいの人の群れの中心にGrandiを見つけた。彼の方もほっとしたらしく、唇の端にかすかに笑いを浮かべた。そこでは、個人個人の名前と国籍がチェックされていた。インドネシア、フィリピン人、一人の老女を除いては、すべて男の人である。皆の表情は、卵白のようにあっさりしていた。意外にも、泣いてる人や悲痛な顔をしている人はいない。入り口を守っている警察官は、私が珍しいらしく、名前と国籍チェックの間、Grandiに関する以外のことも良く尋ねてきた。日本のどこから来たのか、xxという日本の映画を知っているか、年はいくつか、名前は、何の研究をしているのか、結婚しているか、、、。これらの質問は、多くのマレーシア人が新しい人に出会ったときに示す関心からくるものと、全く同類で、警察官でもやはり、マレーシア人の血が流れているんだな、と少し親しみを覚えた。でも、時々彼らは、そういう質問に交えて、Grandiを侮蔑することを言った。’なんでこんな奴かばうんだ、、。ただの違法移民だぞ。信用できるのか、、。Abu Sayafの一員じゃねえか、、。’
結局警察署では、私ができることは何もなかった。名前と国籍のチェックが終わったあと、そこにいた約30人の人々は、前の人の肩に手をかけた状態で、牢屋があると思われる別の建物に行進させられていった。そのとき、私は紙切れをGrandiに渡した。
その後、完全に精神的に疲れた状態でセピロクに到着したのは午後8時で、そのときには、Colinは何が起こったかを知っていた。入国管理局の前のバス停で、警察ともめていた私の様子を誰かが見て、実家に戻っていたLatipに伝えたらしい。Latipはセピロクにそのことを伝えに来た後、再度実家に戻ったという。Colinも私も、Grandiに関して何もできないのがもどかしく、しかし一人でいる気分でもなかったので、セピロクの仲間たちを飲みに誘った。私は、雰囲気に参加しただけで、飲みはしなかったのだが、最後の方は、心配から少し開放されて結構楽しんでいた。Grandi、どうか今夜を無事に乗り切って、、。
Latipがセピロクに戻ってきたのは、次の日の昼だった。そして、Grandiもこのときには、警察署から外に出て、セピロクに戻っていたのである。GrandiのIDは期限切れだったが、全くの無効の紙切れでもなかった。警察官の一人が、警察署に到着する前に取り上げたため、昨日外に出ることができなかったのだ。警察のアイデアは、IDがあろうとなかろうと、摘発に引っかかった移民者をとりあえず署に送り込んで、痛い目にあわせることらしい。普段は口数の少ないGrandiが、私に言った。
’下着も全部取って体を調べられた。’
今日の朝、そのIDはGrandiの手元に返され、退所することができたのだという。
また、強制送還は、私が考えていたものとは、やや異なることがわかった。サンダカンから、フィリピンのミンダナオ島西部にあるゾンボアンガという街に定期船が出ている。強制送還もこの航路を使って行われる。そのため、サンダカンとゾンボアンガには、巨大なフィリピン人コミュニティーがあり、相互の行き来をサポートする体制が移民者の間にあるらしい。もちろん、2,3日で帰ってこれるわけではないが、3−6ヶ月間、向こうで知り合いを頼り、100リンギットのゾンボアンガーサンダカン便にて帰ってくる。Latipによると、警察に捕まって強制送還される人は、知り合いの中で時々いる。強制送還とそれに相反して移民をサポートする体制は、いたちごっこのような形で、マレーシアとフィリピンの間に存在しているのだ。
さて、課題は残っている。2人は、私と働きたいといっている。しかし、現行のLawatanは、証明書として十分ではない。もし、2人が私のフィールドアシスタントとして働いていることがわかれば、雇用者である私が警察署行きなのだ。しかし、机の前に座っていても、答えは出なさそうである。なので、今夜はまたセピロクの人と飲みにいって、夜風と虫の音を聞きながら、考えよう。
23/10/2003