United Kingdom最北の地へ。

Aberdeenは、北緯45度の稚内よりもさらに北にある。そして、UK最北の地であるShetlandは、そのAberdeenよりも、さらに北にある。

Shetlandの島々。Lerwickは、ノルウェーの首都オスロよりも北。


夜の映画が終わる時間になっても、まだ青い空を眺めながら私は言った。
’夏至も近いね。10時だけどまだ明るい。’
’Shetlandに行けば、もっとよる遅くまで明るいよ。ここAberdeenより、ずっと北だから。’
’Shetland、、、何が有名なの。’
と聞くと、うれしそうに
’こっちでは滅多に見られない野鳥がたくさんいる。後、野生のラッコや鯨が見れることもあるらしい。’
という返事が返ってきた。
’行ってみようか。’
’Aberdeenから、Shetlandにフェリーが出てるし、行こうか。’

休みとフェリーのチケットを手に入れて、Shetland行きのフェリーに乗り込んだのはそれから3週間後。一晩フェリーに揺られてついたのは、Shetlandで一番大きな港町、Lerwickである。朝7時、肌寒さと霧雨に包まれながらLerwickの街はまだ眠っていた。自転車をこぎだし、早々と出発。10分も発たないうちにLerwickの街は小さくなり、後は雨にぬれた丘と草原と羊の放牧地が広がる世界になっていった。

レインジャケット着用、それでも寒かったShetland一日目

銀行がなかった。Lerwickで現金を下ろしてくればよかった、と思っても雨の中戻る気はしない。途中、銀行の支店を見つけるが、ATMはなく、あいている時間は毎週水曜の午後1時から3時まで。

この日は、一日中雨であった。今晩の宿であるYell島までは約50km。通り過ぎる車の数と同じぐらいの羊を見ながら、進んでいった。やっと、宿に着いたときは、下着にまで雨が浸透していたが、宿の奥さんであるリータは、私達をやさしく迎え入れてくれて、夏でも火を絶やすことのないストーブの上に、雨具をかけて乾かしてくれた。一息ついて、銀行がなくてという話をすると、
’明日から、さらに北のUnst島に向かうんでしょう。その時の宿のお金は十分にあるの? うちの宿への支払いは、Lerwickにあるツーリストインフォメーションに払ってくれればいいから。’
とまず私達の心配をしてくれる。
’えっ、でも、それではあまりに悪いです。何とかして現金を手に入れる方法はありませんか。’
’そうねえ、火曜日には銀行車が来るんだけど、後はCash Backかしら。’
’銀行車?’
銀行車とは、毎週Shetland島内の各家々を回り、必要に応じて人々がお金をおろせる銀行のサービス車である。またCash Backとはカードで買い物をしたときに、多少の現金ならレジからおろせるシステムである。Cash BackはUK全土にあるシステムだが、銀行車があるのは珍しい。ちなみに、銀行車はShetland内で起こった様々なことを各一軒一軒伝える役割もする。誰の子供が生まれた、誰が結婚する、誰が最近これこれを購入した、誰の息子が帰省している、等々。
自転車で走っているときに、あまりにも家々が点在しているのでご近所づきあいは一体どうなっているのだろうかと思ったが、銀行車によって島内のニュースは、一軒一軒確実に伝えられているのだった。
翌朝、私達はCash Backで何とか現金を手に入れることができますから、といって宿代を払おうとしたが
’何があるかわからないから、手持ちの現金はそのまま持ってなさいな。’
とリータは笑って、出発を見送ってくれた。この宿には2日後の夜に再度お世話になる。

Shetland諸島最北のUnst島に向かって出発。朝は雨だったが、しばらくするとその雨もやんで、羊の放牧地を右から左にまたいで虹が見えたりした。Unst島へのフェリーに乗る頃には、空は青空。Shetlandにて出会う初めての青色の空である。

フェリーで出会ったタンデムカップル

Unst島は、本島よりもYell島よりもさらに、最果てという感の強い草原が広がっていた。草原には木が一本もない。常に強風にさらされ、冬の日照時間が極端に短く、低温に見舞われるこの土地では木は育つことができないのだ。そんな草原を両側に、自転車をこいでいく。一本道なので、何も道路標識がない。電柱と電線が前方に向かって延びていることだけが、前方に人達が住んでいる集落があることの証。20kmほど自転車をこいで、やっと集落に到着し、この日の宿についた。外があまりにも荒涼としているので、家の中に迎えてもらえることが大変ありがたい。ところが、今日の宿はなんだか小汚いではないか。。。

今日の宿は、羊の放牧を長年営んでいて、B&Bは副業でやっているというおうちであった。滅多にお客は訪れないらしく、家の中には作業着がストーブの前に乾かしてあったり、飼い犬や猫が当たり前のように入ってきたりして、床は土ぼこりで薄汚れている。でも、奥さんのNancyは、羊の放牧に関するおもしろい話を色々聞かせてくれるなかなかの逸材であった。
’羊のオスは、とても攻撃的で、えさをやっているときに後ろから攻撃されたの。角で突き刺されて、体が吹っ飛んだんだけど、たまたま自分が落ちたところがフェンスの脇で、杭をとって何回も羊をたたき返したの。’
60過ぎのおばあちゃんがすることだろうか。そのNancyの手は長年放牧に携わってきただけあって、翌朝、握手して分かれるときにも力がこもっていた。

NancyのB&Bから、さらに北へ、北へ。向かうところは、Unst島最北端にあるHermaness自然保護区。海岸沿いに広がるこの地帯には、多くの海鳥がすむ。自転車を降りて小道を歩き出す。足が疲れるほど歩いて、海岸沿いの崖にでた。その崖は、海まで高さ200mほど一気に落ちており、海までの領空は、Ganett(アホウドリ。Ganettは、海にダイブして魚を取る名手。)やカモメの群れで占められていた。今まで聞こえなかった彼らの鳴き声が、風とともに一気に耳に届く。そこから、左手に歩いたところにGanettの営巣地があった。約60000羽のGanettたちがそれぞれ鳴いて、あるものは海上を飛び、あるものは海に浮かび、あるものはえさをヒナのところへ運び、忙しそうにしていた。しばらくそこに座ってGanettたちを見ていると、Ganettたちの鳴き声も海の波の音も一緒に同化してくる。

Ganettの営巣地。白く小さいのは全部Ganett。

ふと、我に返って、灯台目指して歩き始めた。

灯台のある地点が、Unst島の最北地点である。しかし、灯台のある辺りはBonxie(日本語では、大盗賊カモメとある。その名の通り、他の鳥の取ったえさを奪って生活する。)の営巣地であった。Bonxieは警戒し、近づく人間2人を威嚇し始めたのである。私は、速効逆の方向に逃げ出した。相方は脅そうとして双眼鏡を振り回したが、さらにBonxieの警戒を駆ってしまった。結局最北地点まではいけなかった。UK最北地点は人間ではなくて、Bonxieの場所だったのだ。

不思議に神がかったHermanessを後にし、自転車で私達は南下し始めた。Unst島から、フェリーでYell島に渡った。そのフェリー乗り場のすぐ横にあるB&Bが今日の宿。とても素敵なおうちで、昨日のNancyのところとは違うね、といいながら、シャワーを浴び、紅茶を飲んで一服した。ご飯を食べるところは2階にあり、その部屋とつながっている台所の窓からは、波止場が見える。良く、アザラシが海で遊んでいるのをみながら、台所で料理するそうだ。

アザラシがよく遊んでいる波止場。ラッコも来るとか。

次の日、その次の日と、自転車をこぎ続け、私達は再度Lerwickに帰ってきた。最初見たときは小さく思えたLerwickの街も、Yell島、Unst島を訪ねた後は、都会と感じる。銀行がある。Cash Backに頼らなくてもいい! ATMに寄ってお金の心配がなくなると、安心すると同時に、神がかりは消えてしまった気がした。

次の日は、Shetland本島の南までバスで出かけた。南にも海鳥の営巣地がある。岬から鯨が見えるかも、と、意気込んで座り続けたが、鯨は現れず。地平線の向こうからポッと現れて、私達の視界を横切り、小さくなって、点になって、いつの間にか見えなくなる船があった。Puffin(北海道のエトピリカと同じ種類。ペンギンと鳥の合いの子みたい。)が一生懸命飛んで忙しそうにしていた。

Shetlandの南端。鯨は、、、?

そしてその日の夜、フェリーに乗ってShetlandを発った。なぜか、心が魅かれる島だった。田舎のきれいな海を思い浮かべて、帰りたいなあと思うような感覚。再訪することを夢見つつ。

23/08/2004