「竹の水仙」

妊婦になって、山にいけなくなった代わり(?)に、落語にはまった。中でも「竹の水仙」という噺が好きである。ちょっとお付き合い願いたい。

時は江戸時代、東海道の神奈川宿。夕刻となり、どこの旅籍屋もその晩泊まる客の呼び込みに大忙し。
(奥さん)「あんた、ちょっと! 今日こそ客を呼んできておくれよ。ちゃんとお金を払ってくれる客だよ。この 間みたいに、一文無しはごめんだからね! 早くいっておいで!」
と怒鳴られて、大黒屋の旦那、金兵衛は街道へ出た。
(金兵衛)「え〜、今晩お泊りのお客様はいらっしゃいませんか?」
と呼び込みをしていると、
(浪人)「もし、今晩宿をお願いできぬか。」
と声をかけてきたのは、薄汚れた着物をまとった一人の浪人。
(金兵衛)「え、お客様、もちろんでございます、、。」
と言いつつも、その身なりを一瞥した金兵衛の目つきを察して、
(浪人)「今はぼろを着ているが、金はある。安心せよ。」
(金兵衛)「いや、とんでもございません。こちらでございます。大した宿ではございませ んが、長旅の疲れをゆっくり癒してください。さ、さ、大黒屋と申します。」
その浪人、宿の二階の部屋へと案内されて、その晩はすぐに眠りについた。

(奥さん)「あんた、ちょっと! あの客、なんか様子が変じゃないか。一日中部屋に篭 りっきりで何をやっているかさっぱりわかりゃしないよ。その割には、朝一升、昼一升、 夜一升と、酒ばっかり飲んで。もう十日になるよ。本当にお足をもっているんだろうね?」
(金兵衛)「あるって言ってたんだが、、」
(奥さん)「ちゃんと見たのかい?」
(金兵衛)「客にわざわざ見せてください、なんて言うわけないだろう!」
(奥さん)「あ〜、あんたはそれだから駄目なんだよ。人を見る目がないんだよ。 あの人が来てから、米も味噌も味醂も醤油も砂糖も切れちまった!  切れないのは、台所にある包丁と、私とあんたの腐れ縁!!  とにかく! お酒代だけでも少しはもらっておいで! 神奈川宿全体で決まったことなんですが、どんな おなじみさんでも五日ごとにお代をいただくことになりましたって言って。ほら、とにかく言っておいで!」

奥さんにせっつかれて、金兵衛はしぶしぶ二階の浪人の部屋へ。すると浪人開き直って、
(浪人)「許せ、金は持っておらん!」
(金兵衛)「なんだって! この宿に来る時にはあるって言ったじゃないですか!」
(浪人)「うそであった。しかし、払わぬとは言っていない。主、この近くに竹藪はあるか。」
(金兵衛)「すぐ裏が竹藪ですよ。」
(浪人)「主、鋸を一つもって、そこへ案内してくれぬか。その竹藪で支払いの算段をいたそう。」

金兵衛は、ひょっとすると殺されるのではと、びくびくしながら竹藪に案内する。すると 浪人は鮮やかな手つきで手ごろな太さの竹を一本切り落とし、
(浪人)「明日までに彫り物を作る。それを売って宿賃とするのでしばし待たれよ。」
と一言。

翌朝、浪人は金兵衛に、竹で彫られた一輪の水仙のつぼみを手渡した。
(浪人)「これを、水を入れた盥桶の中につけて、宿の前に置いておくがいい。すぐに買い手がつくであろう。」
(金兵衛)「へえっ、、売れるといたしまして、いかほどの値で売ればいいでしょう。」
(浪人)「まあ、二百両とでも申すがよかろう。」
そう言われて、金兵衛は呆れた。たかが竹の彫り物である。 二百両も出す人がこの世のどこにいるだろうか、と厨しく思いながらも、玄関にその水仙を飾った。

すると世にも不思議なことに、日が昇って玄関に日が差すと同時に 竹の水仙がぱあっと開き、得もいえぬいい芳香を漂わせ始めたのである。

しばらくして街道を通りしは、肥後五十五万石、細川越中守の御一行。お寵の中の殿様は、大黒屋の前で部下の大谷刑部に言いつけた。
(越中守)「あの旅寵屋の玄関にある彫り物、是非見てみたい。売り物かどうか聞いて参れ」
(刑部)「はっ、畏まりました。」
刑部は、大黒屋の玄関先にいた金兵衛の元へ。
(刑部)「これ主人、この水仙の彫り物は売り物であるか。」
(金兵衛)「はっ、はい。ええ、売り物でございます。」
(刑部)「いかほどでござるか。」
(金兵衛)「えっと、それが、あの、、両。」
(刑部)「いかほどであるか。」
(金兵衛)「に、二百両でございやす。」
(刑部)「なぬっ、二百両、この彫り物に! 拙者を馬鹿にしおるか!」
刑部は、怒り心頭帰っていってしまった。

そして神奈川宿の陣屋に帰り着くと、越中守に水仙のことを尋ねられた。
(越中守)「彫り物はいかがであった。手にいれてきたか。」
(刑部)「はっ、あの水仙は売り物ではございましたが、二百両と申すゆえ、馬鹿げた話と思い引き返してまいりました。」
(越中守)「たわけが! お主はあの水仙が誰の手によるものか知らないのか! 天下の名工、左官を許された、左甚五郎先生のものであるぞ! すぐに引き返して手に入れてまいれ! 既に誰かの手に渡っていたら、お家断絶、切腹は免れぬものと思え!」
越中守の叱責に、刑部は驚きあわてて大黒屋に引き返した。

(刑部)「あっ、主! おるか! す、水仙の彫り物はまだあるか?」

驚いたのは、金兵衛である。刑部はまだ玄関に飾ってあった水仙を見て、
(刑部)「売ってくれ。三百両でも買い申す。」
と頭を下げる。
目を丸くして開いた口が塞がらない金兵衛を前にして、刑部はものものしく言い始めた。
(刑部)「おぬし、あの水仙が誰の手によるものか知らないのか! 天下の名工、左甚五郎先生のものであるぞ!」
(金兵衛)「えっ! あの浪人が! ひ、左甚五郎先生!」
刑部は、金兵衛が包んだ竹の水仙を手に抱え、大急ぎで陣屋への道を戻っていった。

金兵衛は、奥さんに向かって
(金兵衛)「おいお前、水仙が三百両で売れたぞ! あの二階のご浪人、左甚五郎先生だったんだ!」
(奥さん)「あんたって人は、人を見る目があるよ! 私もあのご浪人は、目つきが違うと思っていたんだよ。」

金兵衛と奥さんが、三百両を持って、二階にいる左甚五郎のところに行くと
(左)「そうか、売れたか。ご苦労であった。では、うち二百両を宿賃として受け取ってほしい。」
(金兵衛)「に、二百両! いいんでございますか。」
(左)「むろんである。主、世話になったぞ。」
宿を後にしようとする甚五郎に対し、
(金兵衛)「せ、先生、お待ちくだされ。神奈川中の竹を買い占めますので、ここでしばらく竹の水仙を作り続けていただけないでしょうか?」
(左)「いや、それはよしておこう。竹に花を咲かせると寿命が縮る。」

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この下げは、竹が滅多に花を咲かせず、それを見た人は寿命が短くなるという逸話によるもの。孟宗竹は六十七年、真竹は百二十年に一度しか花を咲かせないといわれている。

さて、左甚五郎が水仙を作ったのは何の竹だったであろうか。
おそらく日本在来種である真竹であろう。密度が高い材を持つことから、真竹は建材としても細工用途においても一番多く用いられてきた。
また長い年月をかけて、真竹からは、翁竹(オキナダケ)、六折れ竹、皺竹(シボチク)、黄金竹(オウゴンチク)、金明竹(キンメイチク)といった品種が作り出されてきた。中でも金明竹は、稈や枝は金色で青色の筋が入る品種でその美しさには定評があり、「金明竹」という落語噺もある。

これは、中橋の加賀谷佐吉方の使いが、骨董品屋の奥さんと与太郎に言伝を頼むが、二人はその上方訛りがてんでわからず無茶苦茶な解釈をして主人に伝えてしまうという噺。この早口の上方訛りが金明竹の聞きどころの一つで、演者は噺の中で下記の台詞を丹念に三回も繰り返す。

「わて中橋の加賀谷佐吉方から参じました。先度仲買の弥一が取り次ぎました道具七品のうち、祐乗(ゆうじょう)光乗(こうじょう)宗乗(そうじょう)三作の三所物(みところもん)、ならびに備前長船(びぜんおさふね)の住人則光(のりみつ)、四分一拵(しぶいちこしらえ)谷宗a(よこやそうみん)小柄(こづか)付きの脇差、あの柄前(つかまえ)は旦那はんが鉄刀木(たがやさん)といってはったが、埋木(うもれぎ)じゃそうで、木が違うとりますさかい、念のためちょこっとおとこわり申し上げます。次は黄檗山金明竹(おうばくさんきんめいちく)、寸胴の花活には遠州宗甫(えんしゅうそうほ)の銘がござります。織部の香合、のんこの茶碗。「古池や蛙飛び込む水の音」あれは風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛物で、沢庵、木庵、隠元禅師(たくあん・もくあん・いんげんぜんじ)張交の小屏風(こびょうぶ)。あの屏風はなぁもし、わての旦那の檀那寺が兵庫におまして、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって表具にやり、兵庫の坊主の屏風にいたしますと、こないお伝言願います。」

上記のように漢字があると、なんとなく骨董品のことだろうかという気がするが、耳から聞くと「古池や、、」と坊主の屏風ぐらいしかわからない。

どういう意味かというと、骨董品屋と同業者である加賀谷佐吉は、先日仲買を通して骨董品屋から七品を購入した。それらは、
一品目 祐乗・光乗・宗乗三作の三所物
二品目 備前長船の住人則光、四分一拵谷宗a小柄(こづか)付きの脇差
三品目 黄檗山金明竹、寸胴の花活(遠州宗甫の銘あり)
四品目 織部の香合
五品目 のんこの茶碗
六品目 風羅坊正筆(松尾芭蕉のこと)真筆の「古池や蛙飛び込む水の音」の掛物
七品目 沢庵・木庵・隠元禅師張交の小屏風
であったが、使いは、二品目の脇差の柄前に使われていた木が違っていたこと、また七品目の小屏風を兵庫の表具屋に頼んで檀那寺の坊主の屏風にします、という言伝を頼んだのであった。ところが、奥さんと与太郎の解釈はまるで見当違いな方向へ、、。

三品目の黄檗山金明竹、寸胴の花活について。黄檗山とは、京都宇治に隠元が開山した万福寺の山号でここには多くの中国産の植物があったと言われ、金明竹も植えられていた。その金明竹を使って、口と胴体の大きさが同じ、寸胴という意匠で作られた花活である。噺の題名にもなっていることから、さぞ価値ある茶道具の一つだったのであろう。

さて、日本人と竹の関わりは深い。
既に、縄文時代の遺跡からは、アジロ編み、モジロ編み等の竹製の籠、筌(ウケ)が出土しており、奈良・飛鳥時代には竹製品はさらに精巧になり、筆、散華供養に用いる華籠(ケゴ)等が正倉院宝物として残されている。今でも読み継がれている竹取物語は平安初期に成立し、雅楽で用いられる龍笛、笙、篳篥(ひちりき)、雅楽尺八等は竹製である。 鎌倉時代に入ると竹は、弓、弓矢、竹槍等の武具としての重要性を高め、陣中では空間の仕切りとして竹垣が用いられた。

室町時代から安土桃山時代にかけて確立した茶の湯は竹の中に美と侘びを見出すようになる。茶杓、茶筅、柄杓、花活等は竹製のものが定着し、数寄屋造りにおいて竹は欠くことのできない建材になった。(以下写真、品川歴史館にある松滴庵より)










一年を通して見ても竹の存在は大きい。
正月には門松の中央には竹が立ち、消防隊の出初式には青竹の梯子上で演武が披露され、 どんど焼きの日には竹を組んでお正月飾りが火にくべられる。 春には筍の味を楽しみ、その後成長しつつある竹からは皮を取っておにぎり包みや版画の馬連にと 使う。春先には富山で桜鱒を笹の葉で包んだを鱒寿司が作られ、新潟では端午の節句に笹団子を食べ、 京都の鞍馬寺では六月二十日に豊凶を占う竹刈り会式が行われる。 また梅雨時期の傘(和傘)や夏場の団扇、扇子の骨は竹であり、七夕には竹に短冊を飾って祈りを込める。 秋には竹箒で落ち葉を掃き、酉の市では竹で作られた熊手が売られ、人々は新年の幸運を願う。

日用品や玩具にも竹は見出せる。竹とんぼ、竹馬、凧、青竹踏み、耳かき、孫の手、箸、竹串、杖、物干し竿、巻き簾、植物の支柱等だ。



日本には、竹笹類が、栽培種も含めて四百以上あるという。この中で建材、細工等に使われるのは約二十種、食用筍として採られるのは十種ほどである。中でも筍として格段に存在感を持つのが、孟宗竹である。孟宗とは古代中国の孝子の一人で、筍を食べたいという母の頼みを聞いて探しにでかけるが、季節は真冬、見つからない。しかし神に祈ると不思議なことに雪中から筍が現れ、母に食べてもらうことができた、というのが孟宗竹の名の由来。

このエピソードをもじった「二十四孝」という落語噺は、孟宗竹の由来話で孝行の大切さを諭された男が、実母に対して孝行をしようと奮闘するが何故だか全て空回りしてしまうという噺。

さてこの孟宗竹、一説によると一七三六年(元文元年)に島津吉貴によって中国から薩摩に渡来し、後日本全土に広まったのは江戸時代後期といわれている。また、江戸に初めて伝わったのが、現在の品川区目黒区にかけての戸越〜小山周辺だという。



毎年四月に武蔵小山の駅前で行われる筍祭りでは三千人分の筍汁が大判振舞される。

この地域における孟宗竹の栽培は、一七八九年(寛政元年)、回船問屋商人、山路治郎兵衛勝孝によって始められた。孟宗竹は、五十年の長きにわたって薩摩藩によって門外不出となっていたが、治郎兵衛は商人としての交渉力を発揮し、品川の薩摩藩下屋敷から鉢植えを譲ってもらったという。

それまでの寒山竹(カンザンチク)、布袋竹(ホテイチク)、淡竹(ハチク)といった筍は、大きくても直径二〜十センチ。ところが孟宗竹は二十センチ近くになり、苦みも少なく、非常に美味。台地上で稲作が難しかったこの土地の農民たちに、孟宗竹栽培は多大な恩恵をもたらしたに違いない。

山路治郎兵衛勝孝の子孫の方々は、今も小山に在住しており、治郎兵衛の辞世の句、「櫓も楫も 弥陀にまかせて 雪見哉」が刻まれた筍の碑を大切に守っている。

さて、竹の水仙、金明竹の寸胴の花活は、どのような姿かたちだったのだろうか、ということが気にかかる。
そして何より、生まれてきた赤ちゃんが、竹を割ったような素直ないい子に育ってほしいと願う今日この頃である。

参考文献、CD
竹・笹の話 よみもの植物記 室井綽 北隆館
竹と日本人 上田弘一郎 NHKブックス
竹 日本の原点シリーズ6 新建新聞社
竹づくし文化考 上田弘一郎 京都新聞社
竹の博物誌 日本人と竹 朝日新聞社編
竹への招待 その不思議な生態 内村悦三 研成社
竹の記 室井綽 鳩の森書房
竹資源の植物誌 内村悦三 創森社
竹を語る 高間新治 世界文化社
目黒の筍縁起 浅黄斑 ベスト時代文庫
越前竹人形 水上勉
竹の精霊 水上勉
江戸小ばなし 岡本和明 フレーベル館
落語の博物誌 江戸の文化を読む 岩崎均史 吉川弘文館

三遊亭兼好 落語集 噺問屋 竹の水仙
瀧川鯉朝 竹の水仙
昭和浪曲名演集 竹の水仙 初代 京山幸枝君
初代 京山幸枝君 オーオン盤 浪曲 竹の水仙
桂歌丸 竹の水仙
柳家花緑 竹の水仙
蔵出し浪曲名人選 二代 広沢菊春 竹の水仙
柳家花緑 竹の水仙
柳家小さん集 上巻 竹の水仙

立川談笑 金明竹
柳家小三治 金明竹
三遊亭金馬 金明竹
桂南喬 金明竹

Special thanks to
新橋 炉ばた(毎週火曜と土曜の夜に三遊亭一門の落語が聞ける居酒屋)
三遊亭楽松(愛知県知多半島豊浜出身でマラソンが得意な噺家)
官九郎脚本の落語ドラマ「タイガー&ドラゴン」
落語CDを1300種類も保有する品川区立図書館