トーマスとかずちゃんとママ鉄

かずちゃんがトーマスにはまり始めたのは、今年の1、2月頃だっただろうか。トーマスのDVDを見たところ、カラフルなボディの機関車たちが繰り広げるトラブルや助け合いのストーリーにすっかり魅了され、毎朝開口一番「トーマス見る!」というようになったのである。
かずちゃんが夢中に見ている間、私は洗濯物干しや朝ごはんの準備をするのが常だったが、そのうちミニチュアを使って撮影された映像の美しさに惹かれて一緒に見るようになり、そうなると機関車達のディテールが並々ならぬことに気付くのにさほど時間はかからなかった。

車体番号1のトーマスと6のパーシーは小型のタンク式機関車、3のヘンリー、4のゴードンはそれと比べると格段に大きい。8のトビーは不思議な箱型であるし、侯爵様専用機関車のスペンサーに至っては、流線型のボディでいわゆるSLとは一線を画する。これら多勢のキャラクターには、本物の機関車のモデルが存在するのではないか。トーマスの著者、Rev. ウィルバート・ オードリーとは無類の機関車好きだったのだろうか?


箱型の機関車トビーと、流線型機関車のスペンサー



そんな思いを抱いていた3月20日、まだ緊急事態宣言が出される前、私とかずちゃんは豊洲にお散歩にいった。春海橋を歩いて越える時に目に入ったのが、橋と平行して海上を走っている古めかしい橋と線路跡であった。使われなくなってから何年経つのだろうか、線路上には雑草が生い茂り、この橋だけ現代とは切り離されたかのような感じである。


高層ビル群に囲まれて忽然と存在する橋



「この橋何なんだろうね?! 昔は機関車でも走ってたのかなあ、、。」
私がそうつぶやくと、機関車という言葉に反応したのか、かずちゃんが
「ねー、トーマスのお話ししてー。」
と言い出した。トーマスの話でよく出てくるトラブルといえばなんといっても脱線である。私は即興で以下の脱線物語を話し始めた。

ナレーター)トーマスはブレーキをかけた! ところがブレーキをかけるのが遅すぎた! トーマスは駅を勢いよく越えて、そのまま停止線を越えて、バーン、ガラガラガッシャーン、と脱線してしまった。
トーマス)「ああ~、僕はなんてバカだったんだろう。。困ったなあ、どうしよう、、。あれっ? あんなところにかずちゃんがいる! かっちゃーん、かっちゃーん!」
かずちゃん)「なあに?」
トーマス)「お願いがあるんだ。トップハムハット卿に連絡をしてくれない?」
(かずちゃんは携帯電話を持っているという設定)
かずちゃん)「いいよー。」
トゥルルル、トゥルルル
ハット卿)「こちらトップハムハット卿、何かあったか?」
かずちゃん)「トーマスが脱線したー。」
ハット卿)「なんだって?! どこで?」
かずちゃん)「駅の停止線のところ。」
ハット卿)「いつ?」
かずちゃん)「さっき。」
ハット卿)「トーマスだけかい?」
かずちゃん)「貨車も。」
ハット卿)「なんてことだ! ゴードンを行かそう。」
ゴードン)「はっはっはっ、トーマスが脱線したって! やれやれ、しょうがない。助けにいくかあ。」
ナレーター)ゴードンは、クレーン車のロッキーを連れて、トーマスが脱線したところに行った。そしてロッキーがトーマスのボディを引きあげると、ゴードンが引っ張って、トーマスは元の線路に戻ることができた。
トーマス)「よかった~、助かった~。もうこんなバカなことはしないって約束するよ。」
ゴードン)「おいトーマス、今回はかっちゃんが連絡してくれたんだぞ。かっちゃんがあそこにいるぞ。」
トーマス)「あっ、かっちゃーん! 今日は本当にありがとう! 助かったよ!」
かずちゃん)「どういたしまして。また今度もまかせて!」
というストーリー。この、自分が出演するお話をいたく気にいったようで「もう一回! もう一回!」と嬉しそうに何度もリクエストをする。このお話しは、かずちゃんはかずちゃん一役なのだが、私はナレーター、トーマス、ゴードン、トップハムハット卿と声色を変えて4役もこなさなければならず、けっこう大変なのである。しかし親ばかなもので、この日は豊洲・晴海散歩をしながら30回以上も演じてあげたのであった。

この日見た橋は、晴海橋梁という名前であることを後日知った。この橋は、東京都港湾局専用線という貨物船が豊洲から晴海に延伸された昭和32年(1957年)に建設された。当時、豊洲の埋立地には戦後復興の燃料供給の役割を担った豊洲炭坑埠頭や、東京石川島造船所があった。また橋梁を渡った晴海の埋立地では、晴海団地や万博の建物が建設中であった。昭和30年代には、越中島から豊洲・晴海まで一日22往復もの機関車が往来していたという。

このまちアーカイブスのHPより。昭和30年代の晴海


そういえば、この日の午前中は豊洲公園で遊んでいたのだが、この時あった可動橋とクレーンは、石川島造船所の遺構だったのである。



また、晴海橋梁は鉄道が通る初めてのローゼ橋(アーチ橋に桁橋の構造を組み合わせた橋)であり、土木工学的にも特筆すべき橋である。


上部アーチ部分と下部桁の部分が同等の太さであることがローゼ橋の特徴



この晴海橋梁に補修工事を施して遊歩道付きの人道橋とする計画があるという。しかしこのコロナご時世下では十分な予算の確保も難しいであろう。この朽ちた赤錆色のまま、東京湾の一角に残存するというのも一興ではないだろうか。

この頃のかずちゃんは、常にトーマスで頭が一杯だった。


サイコロを見れば「トーマスに、モリ―(黄色い機関車)に、パーシーに、ジェームスがいるよ~。」





折り紙で小鳥を折れば、「ママ、エドワードとトビーの小鳥も折って!」といって青と茶色の紙を持ってくる




公園に行けば、「ジェームスとモリーとデューク(オレンジ)とスペンサー(グレー)とトーマスの豚さんがいるよ!」という具合。



びっくりしたのは品川宿にある古刹、海晏寺にお参りに行ったときである。かずちゃんが突然上のほうを指さして「貨車! 貨車だよ!!」と叫ぶので一体そんなものがどこにあるんだと思ったら、本堂の鬼瓦を指していたのである。確かに、鬼瓦の顔はいつも機関車を困らせてやろうと不敵な笑いを浮かべている貨車に似ていた、、。


見づらいですが、鬼瓦の表情が貨車に似ている



また、かずちゃんは道端でも店内でも何か数字を発見すると、「4だからゴードン! 3だからヘンリー!」と嬉しそうに叫ぶ。私も付き合っているうちに、メジャーなキャラクターの車体番号と色は覚えてしまい「8はダックだよ。9はドナルドで、10がダグラスだったよね?」と対話できるようになった。

幼児にとって自分が理解できる色と数字がキャラクターについているのは、とても魅力的なことらしい。そんなことも、トーマスが世界中で人気である原因かもしれない。

さて、話は戻ってトーマスの原作者、ウィルバード・オードリーについてである。彼は、 1911年にロンドンの南西部にあるハンプシャー州のロムジーという村で、代々牧師として働く家に生まれた。父も叔父も機関車が好きで、教会内の空き部屋に機関車のおもちゃを並べて子供たちを楽しませるようなところがあった。また幼少期を過ごしたウィルトシャー州のボックスには、1841年の開通当時には世界一の長さを誇ったボックストンネルがあり、そこを登ってくる機関車を家の窓から眺めることができた。これらの経験がウィルバートが機関車好きとなる素地を作ったようだ。
オックスフォード大学に進学し、文学及び神学を専攻。1932年に卒業し、イスラエルで教職に就いているときに、将来妻となるマーガレットに出会った。

彼が機関車の物語を作り始めたきっかけは、病気がちだった息子にお話しを作って聞かせたのが始まりだった。それらの話を聞いていた妻が出版を提案し、1945年に実際に本になるとそれは大評判となった。

ウィルバード・オードリーが書き上げた作品は、レイルウェイ・シリーズと名がつけられた26作品(邦訳版は、ポプラ社の汽車のえほんシリーズ)である。その後は息子のクリストファーによって続編が描かれ、またTVシリーズ化する中でさらに新しいキャラクターが生まれていった。

それらの作品群や蒸気機関車に関する図鑑等を見ていくうちに、嬉しい発見があった。それは箱型機関車トビーや流線型機関車スペンサー、その他のキャラクターにもモデルとなった機関車が実在していたことである。

トビーは、路面機関車がモデルである。蒸気機関車が登場する前、普通の道路に敷かれたレールの上を馬が曳く鉄道があったが、それが蒸気機関にとって代わったのが路面機関車である。通行人や他の乗り物への配慮として、動輪等をすべて板で覆うこと、牛よけを付けることが必要だった。しかしどうしても安全面そして煤煙の面での問題があり、大きく普及はしなかったようだ。
そういえばトビーが走っていた路線も廃止予定だったが、偶然トップハムハット卿が知るところとなり、ソドー島に迎えられるという設定になっている。
また余談であるが、1863年ロンドンで開業した世界初の地下鉄では、蒸気機関車が客車を牽引した。蒸気機関車は時として噴火と見紛うような煙を出すが、それが地下鉄を走ったらどうなるか、、想像に難くない。


トビーはかわいいが、実際に路面を走るのは危険かも、。



自分が一番速いことを鼻高々に自慢するスペンサーのモデルとなったのは、ロンドン・アンド・ノースイースタン鉄道(LNER)が1938年に製造したA4形蒸気機関車、通称マラード号である。スペンサーがグレーなのに対して、マラード号はブルーである。マラード号は、蒸気機関車の技術が円熟した時代に製造され、最高時速203キロを記録した。約30年後の1964年、新幹線開業当時の最高時速が210キロだったことを考えると、驚異的な記録である。このマラード号による蒸気機関車の世界最速記録は未だに破られていない。というのは、記録樹立の1938年の翌年から第二次世界大戦がはじまり、鉄道の技術開発は中断された。そして戦後はディーゼルカーや電車が台頭し、蒸気機関車は時代の波に飲まれて消えていく運命だったからである。こうして世界最速という栄誉を永遠に保持することになったマラード号は、今もイギリスのヨーク鉄道博物館に保存されている。


マラード号(鉄道の歴史より)



また、横長のボイラーを持つ機関車ダックがソドー島に来る前に働いていた大西部鉄道(Great Western Railway)は、かつてイギリスに実在した鉄道会社である。設立は1833年でロンドンからブリストルの港を結ぶ路線を作り、その後南西イングランド・南ウェールズにかけて多くの路線を運行した。GWRの機関車はコーポレートカラーの濃緑色であり(ダックもその色である)、ロンドンにあるターミナル駅はクマで有名なパディントン駅である。


大西部鉄道からソドー島にやってきたダック



レイルウェイ・シリーズの中で、かずちゃんと私が大好きなのは、小さな鉱山鉄道で最年長として働くデュークというおじいちゃん機関車である。「最近の若い機関車は礼儀がなっとらん!」が口癖だが、他の機関車や機関士からはとても頼りにされていたデューク。ところが不景気によってこの鉱山鉄道は閉鎖されることとなった。若い機関車たちには次々と買い手が見つかるが、古いデュークにだけは見つからず、閉鎖される機関庫の中にそのまま安置されることとなった。デュークは何年もの間、植物に覆いつくされた機関庫の中で静かに眠るが、彼のことを思い出した鉄道会社の人たちに奇跡的に発掘される。そして修理を受けて再度鉱山鉄道の仲間たちと共に働けるようになるという心温まるエンディング。
デュークの話が書いてある絵本(Duke the lost engine)の著者による前書きに、「南アメリカのジャングルで行方不明になっていた機関車が30年後に見つかったことがあります。その時煙突には木が生え、火室にはスズメバチが巣を作っていました。この機関車は修理されてその後30年もの間立派に働いたのです。」という記述があった。デュークにもやはりモデルとなった機関車が存在したのである。


デューク



ウィルバートが少年時代を過ごした1920~30年代は機関車全盛期であり、各社は新型機関車を製造し、その性能やスピードが大きな社会的話題となった。そんなウィルバートにとって、実在した機関車をモデルにしたり、そのエピソードを色々と取り入れながら作品を描くことはごく自然なことだったのかもしれない。

トーマスの作品の多くには、著者・原作者として、Rev. ウィルバート・オードリーと書かれているが、このRev.はイギリス国教会の聖職者としての肩書であるReverendの略である。ウィルバートは、トーマスの作品を創作しつつも、聖職者であることを常に心に留めていたのだろう。トーマスのお話しの中には、仲間との協力、努力や勤勉の大切さといったことが多く描かれているが、彼が牧師として説いていたことが反映されているのではないだろうか。

私は、かずちゃんとトーマスのDVDや本を楽しみながら、英語だったらどういうんだろう、、と常々思っていた。というのも、よく出てくる単語がまるで分らないのである。

機関車  Steam locomotive?
脱線   ?
貨車   ?
客車   ?
転車台  ?
機関庫  ?
修理工場 ?

これはやばい、、そう感じて港区図書館から借りてきたのが、トーマスの英語版、Thomas the tank engine, Story Collectionである。トーマス誕生60周年を記念して作られた愛蔵版でレイルウェイ・シリーズの1~15冊までが収録されておりなんと5センチ近い分厚さ。。時間のある時に、この本と邦訳版とを読み比べてみた。


トーマス英語版


この本の見開きにあった、ソドー島の地図。本土とマン島の間に存在し、本土のバローインファーネスとは鉄橋で結ばれている




私が読みふけるのが気になるらしく、かずちゃんも時々見ていました。



まずなんといっても驚いたのが、機関車=Steam locomotiveではなく、Engineであることだった。タンク機関車はtank engineであるし、小さな機関車は、little engineと書かれている。SLの原義であるSteam locomotiveももちろん正しいのだが、イギリス英語では、シンプルにEngineといっても蒸気機関車のことを示す。

ジェームスワットが蒸気機関(Steam engine)に改良を重ねて実用化させたのが1768年、そしてその蒸気機関を搭載し自走する蒸気機関車をジョージ・スティーブンソンが発明したのが1825年。この蒸気機関車が西欧諸国で産業革命を最も牽引した存在だったことを考えると、Engine=蒸気機関車も然りである。

ちなみにEngineの語源は、ラテン語のingenium「生まれつきの才能」という意味で、「仕掛け」、「機械」という意味に発展し、18世紀には「エネルギーを動力に変えるもの」という意味になった。

さて、トーマスの物語に出てくる他の単語は、、
脱線 off the rail/lurch off
貨車 freight car
客車 coach/passenger
転車台 turntable(中国料理の円卓上の回る台や電子レンジの中の丸い台も)
機関庫 shed
修理工場 steamworks

他には、
whistle 汽笛
siding 待避線
guard 車掌
station master 駅長
signal box 信号所
switchman 転轍手(線路のポイント切り替えをする人)
freight yard 操車場
buffer 緩衝器
driving wheels 動輪
branch line 支線
quarry 石切り場
cowcatcher 牛よけ
tram engine 路面機関車
viaduct 陸橋
royal train お召列車
double decker 重連(蒸気機関車を2台連結して走らせること)
flatbed 台車

put on brake ブレーキをかける
clank ガチャンガチャンと音を立てる
clatter 音をたててがちゃがちゃ進む

調べてみて、意外と知っている単語なんだな、、、というのが感想である。覚えておこう。いつかトーマス通のイギリス人とお話しする機会があるかもしれない。

また、トーマスのお話しには、個性豊かなキャラクターたちの喜怒哀楽が様々に描かれているが、
crossly すねて、不機嫌に
snort 声をあらげる
sulk すねる、ふくれる
grumble ぶつぶつ文句を言う
wobble よろよろする
splutter 早口でぶつぶついう
loftily いばって
pay him back 仕返しする
groan ブーブー不満を言う
huff ぷんぷん怒る
shoo away しっしっといって追い払う
puff プップっといいながら(煙を吐きながら)動く
sooth 落ち着かせる
pant 息をきらしてハーハーいう
scuttle 人目を忍んで急ぐ
growl がみがみ言う
chuckle くすくす笑う
snigger 低い声で笑う
guffaw ゲラゲラ馬鹿笑いする
smirk 二タニタ笑う
grin 歯をむき出して笑う
snigger 忍び笑い

これらの単語は、学術論文ではなかなかお目にかからない、、。

また、いたずらに失敗して溝にはまってしまったゴードンをからかって子供たちが歌った歌(以下)が
Silly old Gordon fell in a ditch
fell in a ditch
fell in a ditch
Silly old Gordon fell in a ditch
all on a Monday morning
「ロンドン橋落ちた(London bridge has fallen down)」の替え歌だったり

スコットランド生まれの双子の機関車ドナルドとダグラス(両方ともスコットランド所縁の人名)の会話が例えば以下のようにバリバリの訛りで書かれていたりして面白い(邦訳版もそれに倣って、ちょっとおかしな日本語表記となっている)。

Mebbe, Sirr, he saw ye comin' an' thought he was late
局長さんがこっちへくーるのをみて、はーやくいかないとしーかれるとおーもったんですよ
Gosh sakes! I may hae stowed the Special Cooch wi'the others
しーまった! とくべつ車両も、ほーかの客車といっしょにかーたづけてしまったんだ

スコットランドの訛りといえば、留学中に滞在していたアバディーンの街でタクシーに乗った時に、タクシーの運転手の話がまるでわからなくて、「この人実は英語しゃべってないんじゃない?」と思うぐらいだったことがある。この時はイギリス人の友人と同乗していて、友人は運転者の話に「I see, really? great!」などと相槌を打っているのだが、運転者の会話が何1つ聞き取れないのである。降りた後に友人に聞くと、運転手は、伝書鳩のレースが趣味でその大会のことや飼っている鳩の品種等について熱心に語っていたらしい。会話内容がマニアックだったこともあるが、スコットランド訛りに関しては、私の英語が拙いこともあってコミュニケーションを取るのにとても苦労した。



2020年4月6日、コロナの蔓延を防ぐために緊急事態宣言がなされ、テレワークをしている親は保育園の使用は原則不可となった。私も3月上旬からテレワークをしていたのだが、かずちゃんの面倒を見ながらうちでパソコン仕事なんて到底不可能である。月給制じゃない派遣の場合は給料はどうなるのだろう?と心配になったが、しばらくして派遣会社から特別有給が付与されることがわかった。こうして私は経済的心配をせずに、非常事態宣言の間、ソーシャルディスタンスを保ちながら、かずちゃんを連れて自転車で近くの公園巡りを楽しんだのである。

品川区内のみならず大田区、目黒区、世田谷区、渋谷区、港区とうちから約5キロ圏内の公園は熱心に廻った。その中で、大田区の東調布公園(南雪谷5-13)、世田谷区の世田谷公園(池尻1-5-27)、品川区の東品川公園(東品川3-14-9)、そして大田区の入新井西公園(大田区大森北4-27-3)に蒸気機関車の静態保存を見つけたのである。

大田区を流れる呑川右岸の閑静な住宅街の中に東調布公園はある。家族3人で訪れて、ここにD51 428があることを発見した。SLの静態保存を見るのは久しぶりで、私は改めてかっこいいなあと思いながら、「かずちゃん、トーマスよ! これが本物のトーマスよ!」と話しかけた。


D51 428。運転席にも乗れる



かずちゃんは喜んで階段を登りD51の運転室に入っていったが、ちょっと様子を見てそのままスタスタと降りて遊具のほうに行くではないか、、。
「かずちゃん、もういいの? トーマスだよ!」
というと
「真っ黒で怖いー。」
と一言。確かに、かわいい顔がついているわけでもないし、トーマスのキャラクターのようにカラフルではない。そういえば、なんで蒸気機関車は黒と決まっているのかな、と思いながら写真を撮る。


D51 428、前から




子供にも想像しやすいように、走行距離が月までの往復回数で示されている。




最初見たときは、チンプンカンプンだったが、蒸気機関車の本を読んで勉強するうちに、大煙管、小煙管、火格子などの意味がわかるようになった。




パパに抱っこされてパチリ



D51は、炭水車があるテンダー式機関車である。炭水車がある分大型で、ゴードン、ジェームス、ヘンリー等と同タイプであり、彼らはよく「炭水車付きのテンダーの俺たちは、タンク式(トーマスやパーシーの機関車)のお前たちとは違うんだぜ。」とよく自慢している。

次に世田谷公園で巡り合ったのも、D51 272であった。大正・昭和にかけて合計1115両が製造された日本を代表する蒸気機関車D51。トーマスの話の中では、日本から来た機関車として描かれるヒロのモデルである。


でもこの日は、コロナの影響で中には入れず、柵の外側から観察




世田谷公園は、昭和40年に開園した非常に古い公園。272は、昭和47年に世田谷公園に寄贈された。



世田谷公園には、非常事態宣言解除後に再度遊びに行ってみた。すると今度は、D51 272も柵の中に入って実際に触って見学できるようになっていた。プラットホームがあり、D51 272の本体、炭水車、そして一番後ろには車掌車が連結されており、なかなか迫力がある。





ママと一緒に




D51 272のスペック。動輪が1400㎜、ちょうど、私とかずちゃんの間の大きさである



小さい子たちは、機関車に乗ったりさわったりで大はしゃぎ。贅沢だなあ、こんな立派な鉄道遺産でアスレチックできて。


給炭口の横に立つ




連結器を渡る




動輪も遊具



この世田谷公園には、D51 272の8分の1のミニSLが園内に敷設された線路を走っており、子供たちに大人気。私たち家族3人も、これに乗って上機嫌で帰ってきたのであった。

そして3番目の蒸気機関車は、東品川公園にあったタンク機関車であった。
「あー! ここの公園にもトーマスがある!」


機関車。C、D型とはなんか違うぞ



といってかずちゃんは喜んでかけていき、私も一緒に機関車の乗り込んで
「なんか小さい! 炭水車がない! なるほどこれがタンク機関車か!」
と気付いた。


タンク機関車の石炭を搭載する部分




ボイラーの上にて




投炭口をさわる




給炭口。D51の給炭口よりは小さい。



トーマスの挿絵の中でもテンダー機関車(ゴードン、ヘンリー、ジェームス等)とタンク機関車(トーマス、パーシー)のサイズの違いは明瞭に描かれ、小回りやバック運転が効くタンク機関車は支線や操車場、テンダー機関車は長距離・急行列車の牽引と役割分担がなされているが、実物を見て納得。



そして最後は、京浜東北線の大森駅から歩いて5分ぐらいのところにある入新井西公園である。大森駅の歴史は古く、開業したのは日本初の蒸気機関車が走った明治5年からわずか4年後の明治9年。翌明治10年にアメリカから来日したエドワード・モース博士が、車窓からの地層を見て大森貝塚を発見したことでも有名である。
昔は、今の京浜東北線の線路を蒸気機関車が走っていたんだなあ、と思いながら公園内のC57 66を見て、


C57 66



説明板を眺めると、、、


走行距離は月まで4往復




Dに比べて、色々なスペックがやや小型




動輪を回転させている?! 本当? 





でもコロナで今は中止なんではないだろうか。ちょうど公園管理のおじさんがいたので聞いてみると
「今でも動いていますよ。もう40年以上前から動いていますよ。私の息子が小さい時に連れてよく見に来ていましたから。」
とのこと。これは見に来なくては!という訳でその週末に再度来訪。

予定時間の12時より少し前に公園につくと、動輪お目当ての親子連れが何人か待っていた。そして12時になるとポー!と汽笛がなって、ガーッシャン、ガッシャン、ガッシャンといった感じで片側3つ、計6つの動輪が動き始めた。もちろん蒸気ではなく電気仕掛けなのだが、おもしろい! 迫力がある! ピストンと主連棒の動きがよくわかる! 

動輪が動く

あっという間の5分間であった。かずちゃんよりもママのほうが興奮していた。SLの静態保存は日本各地に多くあるが、動輪が動くものは珍しい。しかも京浜東北線の駅から徒歩5分という街中である。

公園にSLの静態保存があるのは素晴らしい。子どもらはトーマスの本物をみて大喜びし、年配の人たちは蒸気機関車が日本各地で汽笛を鳴らしていた昔日を思い出すことができる。今、日本全国には597両の機関車の静態保存があり、うち178両がD51である。

ちょうどこの頃、私は秋山岳志著「機関車トーマスと英国鉄道遺産」という本を読んでいて、衝撃的事実を知った。この本は、トーマスの原作者ウィルバート・オードリーの人生と重ね合わせる形で、著者が実際に現地を見聞きして歩きながら、イギリスの保存鉄道の魅力に迫っていく興味深い本である。この本によると、鉄道発祥の国であるイギリスでは、多くの蒸気機関車は動態保存されているという。

動態保存とは、文字通り動くということ。投炭口から石炭を入れて燃やせば、今すぐにでも蒸気が上がり、シリンダーに送られ、その往復運動で動輪が回転し始めるのである。そして線路を走り始めるのである。機関車を動態保存するためには、当然ながら十分な資金と機関車のメンテナンスができる技術者が必要である。それだけではない。機関車を保存する場所、そして走らせる線路や駅舎も必要である。

イギリスではこのような保存鉄道の運営母体がNGOのような民間団体であり、今も多くの観光客を乗せて走っているのだという。働き手は無償のボランティアの人々で、経費の大部分はチャリティー募金でまかなわれている。機関車を運転するには専門の知識や技術が必要であるが、機関士や機関助手の仕事は、実際に鉄道会社に勤務していたリタイヤ組が担当していることが多いという。皆、携わっている人たちは無報酬で楽しみながら働いているのである。

そういえば、イギリスの大学滞在中に、イギリスのボランティア精神に驚く出来事があった。ことはロンドンマラソンである。世界的にも有名なこのマラソンは、4万人以上の参加者のうち8割近くがチャリティー枠で走るという仕組みを持つ。チャリティー枠で走るためには、大会参加費として20-30万円を支払うことが必要で、それは慈善団体の活動資金として使われる。けっこうな金額であり、参加者個人がほいっと払える額ではない。

同じ学部のある人が、チャリティ枠ーでロンドンマラソンに参加できることになった。私はある日、友人がその参加予定の人に20ポンドあげた(「I donated him 20 pounds for his London marathon」)と話しているのを聞いたのである。当時20ポンドといえば約4000円である。「えっ、なんでなんで? その人が走るんでしょ?」、なんで走らない人が走る人の参加費を肩代わりしてあげるのかわからずに私は尋ねた。すると「Because he is running for charity」(だって彼はチャリティーのために走るのよ)と一言。その後も、学部内で多くの人が募金をしたと聞いた。イギリスでは20~30万円という少なくはない額を「チャリティーで走る」という理由で身近な知人から集めることが可能らしいのである! 

ボランティアの起源は、宗教団体による募金や慈善事業であるが、それが19世紀には宗教を離れた団体も多く現れ、医療、教育、貧困、飢餓、文化財保存といった様々な分野に広がっていった。1930年代の世界恐慌の時には、イギリスそしてアメリカにおいて多くのボランティア団体の活動が社会的弱者を救ったと言われている。このように欧米では、ボランティア活動が社会の一翼を大きく担っている。イギリスの保存鉄道も、イギリス人の奥深いボランタリズムと鉄道への情熱によって支えられているのである。

イギリス国内には民間が運営する保存鉄道が180近くも存在する。その中でもウィルバート・オードリーと少なからぬ縁を持つのが、ウェールズはGwynedd地方のスノードニア国立公園内にあるタリスリン鉄道である。ウィルバートは、このタリスリン鉄道の保存活動メンバーの一人であり、さらにはボランティアで車掌を務めたこともあったのである。

この車掌をしていた時にウィルバートは、まだ駅の売店女性が残っているにも関わらず、その日の最終便を発車させてしまった。女性は大慌てで機関車を追っかけ、無事に乗車、一人ぼっちでの駅泊は免れることができた。ウィルバートは、このエピソードを元にレイルウェイ・シリーズの1話を書いている。

ウェールズといえば、難解なウェールズ語が思い浮かぶ。そもそもケルト語派に属し、ゲルマン語派の英語とは全く共通点がない。Welcome to Walesは、Croeso i Gymruであり、Helloは、Shwmaeであり、Good byは、Hwyl Fawr、Thank youは、Diolchである。またWalesという単語は、古期英語で非ローマ人/外国人という意味が語源であるが、ウェールズ人は自分たちのことをCymri(発音を聞くとカンブリと聞こえる)と呼んだ。

このCymru(カンブリ)という呼び名が、地質学で約5億4200万年前から約4億8830万年前を指すカンブリア紀の名前の由来である。1800年代初頭に、地質学者のアダム・セジウィックがウェールズで当年代の岩石を発見したことから命名された。さらに、カンブリア紀に続くオルドボス紀(約4億8830万年前から約4億4370万年前)、シルル紀(約4億4370万年前から約4億1600万年前)の名前も、ウェールズに古代住んでいたOrdovices、Siluresという部族名が語源である。

それらの名前が示すように、カンブリア山脈が南北を貫くウェールズの地質は大変古い。そのため、石炭やスレート(粘板岩)、鉱物の宝庫であり、産業革命と共にウェールズ各地には多くの鉱山鉄道が敷設されるようになった。タリスリン鉄道もその1つである。

タリスリン鉄道は1866年に、山間部Bryn Eglwysの石切り場から海岸沿いのTywynにスレートを運搬するために686㎜のナローゲージ鉄道として作られた。鉄道は産出されたスレート及び労働者の運搬に使われ、1880年代まで地元経済は大いに潤った。ところがその後は鉄道保有者や出資の面で様々な問題が生じ、紆余曲折の末、1950年に鉱山は閉鎖された。

しかし、著名な伝記作家であり遺産鉄道の愛好家でもあったL.T.C.ロルトがタリスリン鉄道を訪れその保存を決意。タリスリン鉄道保存協会を設立し、新聞広告で呼びかけたところ、予想を上回る募金が集まり、タリスリン鉄道はイギリスで初の保存鉄道となったのである。

タリスリン鉄道が保存協会に譲渡された時点で使用可能だった蒸気機関車は1台だけだった。しかし保存協会のメンバーかつ元修理工場のオーナーが他の機関車のオーバーホールを無料で請け負ってくれ、また名のある機関車工業の会長が引退した機関車を無償譲渡してくれたりして、運行できる機関車の数は増えて行った(タリスリン鉄道の蒸気機関車は、Dolgoch、Sir Haydn、Edward Thomas、Douglasと、さながらトーマスの物語のように1台1台に名前が付けられている。)

1957年にはBBCにてタリスリン鉄道のことが取り上げられ、観光客の数が大幅に増加。資金が集まるとともに、ナローゲージ博物館の設立や大規模な駅の補修、また改定された鉄道法に合うようにすべての車両への空気ブレーキの取り付け等を行った。鉄道会社ではなく民間の団体がこれらのメンテナンス事業を行っているのは、驚嘆に値する。

2013年には、毎年イギリス女王から選ばれたボランティア団体に贈られる賞を受け、ウェールズのナローゲージ鉄道10選にも選ばれ、観光客からの人気は依然として高い。

また年に一度行われる「レース・ザ・トレイン」というランニングイベントには、世界中から参加者が集まる。このイベントでは、Tywynから鉱山麓のAbergynolwyn村までの往復23キロを、機関車と並走してスピードを競いあいながら走る。機関車は途中駅や給水塔等で度々止まるため、23キロの走行に1時間45分かかる。なので、時速13.3キロ以上のトップランナーは機関車とのデッドヒートを繰り広げることができるのだ。
トーマスの物語にもトーマスとバスのバーティーが競争する話があるが、タリスリン鉄道では蒸気機関車と人とのレースが行われている。

タリスリン鉄道の軌間の686㎜は、一般的な畳の幅である約90センチ(900㎜)よりも、黒部峡谷のトロッコの762㎜よりも狭い。本当にこじんまりとした鉄道で、観光列車として走っている現在はそのサイズが愛らしくもあるが、鉱山鉄道として使われていた時代はスレートの埃と汗にまみれた労働者が肩を寄せ合って乗るような路線だったのだろう。
黒部のトロッコも元々は電源開発のために敷設されたが、今は日本有数の観光列車となっているというところでは共通点がある。

ところで、このタリスリン鉄道、とても遠い。ロンドンからの直線距離は約300キロであり、電車を乗り継いで始発駅のTywynまで約5時間もかかるのである。そうしてようやく到達し、総延長わずか12キロの保存鉄道を楽しむ。それもなかなかこだわりがある、贅沢な小旅行ではないだろうか。



ナローゲージ(狭軌)といえば、日本の在来線もほとんどがそうである。ただタリスリン鉄道の686mmに比べて日本は1067mmを採用しているので、車体などはかなり大きい。
そもそもイギリスでは、蒸気機関車が発明される前は、敷設されたレールの上を馬車鉄道が走っており、そのレール幅が1435㎜であったことから、その幅がスタンダードゲージとなった。しかしナローゲージには敷設や保線が安価で楽という利点、逆にブロードゲージ(広軌)には高速運行時の安定感といった利点があり、様々な軌間の線路が世界中に普及していった。

日本初の鉄道はイギリスの技術を模倣して行われたが、スタンダードゲージではなくナローゲージが採用された理由は、新生国家日本が経済的に早く発展するためには線路の保守・点検が安価で容易ということが必要と考えられたからだった。しかし新幹線のためには、高速化と安定性を図るために、日本の技術者はスタンダードゲージを選んだ。

実はうちのすぐ近くに、この1067mmと1435mmを見比べることのできるベストスポットがある。品川区北品川3丁目から4丁目にかけて御殿山通りにかかる陸橋であり、この下には、東海道新幹線、横須賀線、東海道本線、上野東京ライン、京浜東北線、山手線のなんと6路線が走っており、鉄道好きなら一日いても飽きない場所である。



この橋を通りかかった時に、かずちゃんと一緒に電車を見がてらゲージの違いも観察した。在来線の1067mmはちょうどかずちゃんの身長、1435mmはちょうど私とかずちゃんの身長の間ぐらいである。
「新幹線は、1435mmよ。」というと、まだ千の単位がなんたるかわからなくても
「せんよんひゃくさんじゅうごみり?」
というのが可愛らしい。

この陸橋のすぐ近くの権現山公園には、飛行機型の遊具がある。ここに登るとまだ加速しきる前の新幹線が、R600という急カーブを走行していく様子が見られて、これもなかなかかっこいい。


飛行機遊具に登って、新幹線がカーブしていくのを眺める



コロナの非常事態宣言が解除された6月7日、かずちゃんと私は公園巡りをしていてちょうどお昼頃にこの陸橋を通った。すると、なんだかカメラを抱えた人がたくさん群れているではないか! 撮り鉄の人たちだ! 何が通るんだろう?! 私は早速自転車を止めて、隣にいた撮り鉄のお兄さんに聞いてみた。
「ドクターイエローが通るんですよ。11時53、54分ぐらいに。」
時計を見ると後10分! なんたるグッドタイミング。そのお兄さんはやさしくて、ドクターイエローの時刻表はネットで公開している人がいるということ(一般の時刻表には記載されず、プラットフォームでも回送と表示されるのみ)、ドクターイエローは基本的に東京から博多までを走ること等を教えてくれ、人混みをちらりと振り返り
「今日は宣言が解除されて初めての週末だから、人手が多いですよね。」
と言った。そうか、、撮り鉄の人たちも緊急事態宣言中は自粛していたんだなあと納得。

そして11時53分、みんなの期待が高まる中、ドクターイエローが来た! スマホとカメラの連写音がカシャシャシャシャシャと響き、かずちゃんと私も大興奮。


ドクターイエロー! 真正面からなんてなかなか見られない~!



あっという間に通過してしまったが、そのレアさから幸運のドクターイエローと呼ばれるだけあって、見た後はそこはかとない充足感に満たされたのであった。

後で本を読んで知ったが、ドクターイエローが様々な機器を積んで、トロリ線の摩耗やレールの歪み等を検測しながら東京ー博多間を往復するのは月に約3回。東海道新幹線はのぞみ、ひかり、こだま合わせて、東京駅から1日に約370本発車するので、本当に本当にレアなのである。

トーマスから蒸気機関車にはまった私は、この頃「東京鉄道遺産」なる本を夜中に読んだりして地味にママ鉄を楽しんでいたのだが、うちから自転車でわずか数分のところに土木建築学上かなり有名な橋があることを知った。その名も大崎道架道橋。五反田駅と目黒駅の間で山手線と湘南新宿ラインが走っている橋である。この大崎道架道橋の上には、首都高目黒2号線が直交している。



この首都高の建設に先立ち、昭和37年、道路と架道橋の拡幅工事が必要となった。元々の道路は片道1車線であり、架道橋もそれを跨ぐ幅で済んだが、新規の都市計画道路(現在の下道)は片道3車線で幅40mと計画された。つまり約3倍の長さの架道橋架設が、山手線の運行を止めることなく、必要となったのである。

コンクリートは引張力に弱い。この弱点を、事前に緊張力をかけることで解決したプレストコンクリート工法が改築工事に採用されることになった。工事には4年の月日がかかったが、その間山手線が運行するのを仮桁で受け止め、主桁となるプレストコンクリート桁を敷設した後、緊張力をかけて一体化した。


大崎道架道橋のプレストコンクリート床桁



この工事はプレストコンクリート技術の安全性と成熟を示すことになり、その偉業を評して大崎道架道橋には銘板が飾られているという。

「そんな銘板あったっけ?」
と私は思った。実はこの大崎道架道橋の下を、私は2年半も毎日自転車通勤していたのだが、そんな技術で作られた橋であったことや銘板があることをまるで知らなかった。恥ずかしいことに「この橋の下はうるさいし、汚いし、時々ホームレスの人はいるし、、」ぐらいにしか思っていなかったのである。

そこで改めて見に行ってみると、


大崎道架道橋。一番上には高速が走り、その下を走る山手線を支えている




あ、銘板あった!(自転車で通過している人の上部の黒い四角い板)でもなんでこんなに高い位置?!




真下に行って見上げてみると、フォント小さい! 読めない!



なんでこんな読みづらい銘板にしたんだろう、、と思いつつ、こうなると書かれている内容が気になる。そういえば銘板の一番最後には作成団体の名前が記されているではないか。そこに問い合わせてみればいいのでは。そう思って、目を細めて最後の行をなんとか読んだ。
日本国有鉄道東京工事局
今は無き会社の部署名であった、、、。

そこで、今度は天候のいい日に台を持ってかずちゃんと一緒に再訪。かずちゃんが「ママ、何やってるの? 早く! 早く~!」とせかす中、台に乗って一字一字文章を書き写し、なんとか解読したのが以下である。

大崎道架道橋は明治十八年山手線の開通により巾員二・七八メートルの
煉瓦造アーチが最初であり、その後大正七年、複々線の開通により巾員
三・六メートルの架道橋が完成した。
昭和三十六年に至り、東京オリンピック関連街路としてこれを巾員四十
メートルの架道橋に改築することとなり、工事の設計・施工が東京都よ
り国鉄東京工事局に委託され翌年四月に着工、昭和三十九八月に使用を
開始した。新架道橋は一日七百六十回に達する山手線の列車運転の間合
に安全且つ迅速に施工するため特に東京大学教授国分正胤のご指導を得
て、プレファブ方式の新構造を採用したものである。新構造は復路両側
に橋台・橋脚の基礎を築造し、工事桁の直下に予め作られた横桁を挿入
し、橋築床版を構成し外側にこの床版を受けるための主桁を場所打ちし
たものである。
主桁は巾一・三メートル、高さ二・六メートルの中空矩形断面で百六十
五トンケーブル(径十二・四ミリメートル十二本束)を二十一本使用し
横桁は巾六十二センチ、高さ一・二メートルのI型断面のものを一径間
当り十九本並列し、その両端を主桁と緊結した複雑な構造の四線下路式
PC桁で国内は勿論外国にも類例のない構造である。


銘板としてはかなり専門的な内容だが興味深い。1964年の東京オリンピックに合わせて新幹線、そして首都高と東京の交通網は刷新されたが、最後の文章からは大崎道架道橋を完成させた当時の技術者たちの誇りが伝わってくる。

ちなみに蒸気機関車の発明者として知られるジョージ・スティーブンソンの息子のロバート・スティーブンソンは、有能な架橋技師としても知られていた。彼は1840~50年代、イギリス国内外に鉄道網が拡大していく時代に、多くの鉄道建設計画に技師として呼ばれた。彼が架橋した橋として有名なものに、イングランドとスコットランドの境界をなすツイード川にかかる煉瓦アーチ橋のロイヤル・ボーダー橋(1850年開通)、メナイ海峡を越えてアングルシ島とウェールズ本土を結ぶ錬鉄製のブリタニア橋(1850年開通)、ニューキャッスルのタイン川を渡るハイレベル橋(1849年開通)等がある。
ブリタニア橋は1970年の火災を受けてトラスアーチ橋へと再建されたが、ロイヤル・ボーダー橋とハイレベル橋は今も当初の形で使われている。

トーマスのDVDによく出てくる煉瓦の橋には、ロイヤル・ボーダー橋の面影がある。


ロイヤル・ボーダー橋(以下より)
By Mick Knapton at the English language Wikipedia



これらの橋も、大崎道架道橋も、3月にかずちゃんと一緒に見た晴海陸橋も当時最新の技術を駆使して作られた。鉄道網の発達には、車両の性能や安全面に関する技術革新に加えて、架橋やトンネル等の土木技術の発達も欠くことができない。そんな当たり前のことに改めて思い到る。

2020年8月現在、東京では連日、コロナの感染者が200人を越え、その蔓延は全く収束する兆しが見られない。しかし、トーマスや公園にある蒸気機関車のおかげで、地元で楽しむことができたのはとてもありがたいことであった。今後もしばらくは、かずちゃんのトーマス熱とママ鉄は続きそうである。


4才の誕生日、トーマスのケーキでお祝い



いつになるかはわからないが、コロナが収束した暁には、飛行機に乗ってトーマスのふるさとである鉄道王国イギリスにも足を運べることを祈りたい。



最後に、、
蒸気機関車に関してどうしてもわからなかったことが2点あります。もしどなたかご存知でしたら、教えてください。

(1)厳冬期の蒸気機関車の水について
北海道等、極寒の地を走る蒸気機関車の水はどうしていたのだろうか。蒸気機関車は、石炭を燃やし始めてから十分な蒸気が上がるまで数時間かかる。一度燃え始めて循環し始めれば大丈夫な気もするのだが、例えば夜機関車が車庫で休むときはどうしたのか。給水塔の水はどうやって凍らせないようにしていたのだろうか。

(2)蒸気機関車の色について
イギリスの蒸気機関車が会社ごとに違う色に塗られてカラフルだったことは有名である。日本ではなぜ機関車はすべて黒なのだろうか。明治39年に鉄道国有法が定められ蒸気機関車の国産が本格化した大正以降は、国鉄の制定色である黒に統一されていったと考えられるが、それ以前の明治期に輸入された機関車は何色だったのか。またイギリスを模倣して会社ごとに色を塗り分けるという風にはならなかったのだろうか。

参考文献
汽車のえほん 1~26巻 Rev. ウィルバート・オードリー ポプラ社
きかんしゃトーマス ソドー島ツアー ビックリ!! ハプニング編 ソニー・クリエイティブプロダクツ
トーマスの新テレビシリーズ ウィルバート・オードリー原作 ポプラ社
トーマス大図鑑 ポプラ社
きかんしゃトーマス なかまずかん1 小学館
きかんしゃトーマス なかまずかん2 小学館
はしれ! みんなのSL 絵 溝口イタル 交通新聞社
いってみよう!大井川鐵道 トーマス号となかまたち 小賀野実 ポプラ社
蒸気機関車誕生―メカ異聞&製造工場見学記― 松尾定行 クラッセブックス
小型蒸気機関車全記録 東日本編 高井薫平 講談社
見学しよう工事現場4 橋 監修/溝渕利明 ほるぷ出版
ヒミツがいっぱい! 世界の橋大研究 役割・構造から歴史まで 監修/三浦基弘 PHP
あんな形こんな役割 橋の大解剖 監修/五十畑弘 岩崎書店
土木のずかん 構造物を造るわざ 共著/吉田勇人・速水洋志・稲垣正晴・水村俊幸 オーム社
蒸気機関車D51大事典 荒川好夫 成瀬京司 戒光祥出版
D51 デゴイチ 山越えの魅力 日本蒸気機関車の象徴 齋藤晃・宮地元・林暁・杉江弘 誠文堂新光者
国鉄蒸気機関車 最終章 對馬 好一/橋本 一朗 洋泉社
細密イラストで綴る 日本蒸気機関車史 片野正巳 NEKO MOOK
新・蒸気機関車 完全名鑑 日比政昭 廣済堂ベストムック276号
蒸気機関車よ永遠に 杉江弘 イカロスMOOK
蒸気機関車百景: 昭和を駆け抜けた栄光のSL 藤田弘基 平凡社
鉄道車両の科学 宮本昌幸 サイエンス・アイ新書
日本鉄道事始め 高橋団吉 NHK出版
機関車トーマスと英国鉄道遺産 秋山岳志 集英社新書
機関車・電車の歴史 山本忠敬 福音館書店
鉄道の歴史 クリスチャン・ウォルマー 訳:北川玲 創元社
世界の鉄道事典 ジョン・コイリー 監修/英国国立鉄道博物館 あすなろ書房
遥かなる鐵路 屋敷要 日本写真企画
スティーブンソンと蒸気機関車 (世界の伝記 科学のパイオニア) コーリン・クレスウェル・ドーマン(著) 小川 真理子 (翻訳) 玉川大学出版部
ドクターイエローのひみつ 飯田守 講談社
東京鉄道遺産 小野田滋 講談社
機関車トーマスと英国鉄道遺産 秋山岳志 集英社新書
イギリス「鉄道遺産」の旅 秋山岳志 千早書房
世界の狭軌鉄道06 ロムニイ、ハイス&ダイムチャーチ鉄道 いのうえ・こーいち 株式会社メディアパル