2015年4月18〜19日 栂池〜蓮華温泉〜雪倉岳〜木地屋山スキー


先週の弥陀ヶ原〜浄土山(4月11-12日)に引き続き、今週(4月18-19日)もTさん、Sanchanと一緒に栂池〜白馬乗鞍 〜蓮華温泉〜雪倉岳〜木地屋の山行に参加させてもらうことになった。 同行者2人の方々がまとめてくださったヤマレコの記録はこちらです。 -----------------------------------------------------

4月17日(金曜日) 

金曜の夜に、ザックを背負って家を出発。大崎から新宿へ向かう山手線内で、私はふと
「あ、ヘルメット忘れた。」
さらに、
「ああっ! シールも忘れてる!!」
という衝撃の事実に気付いた。

新宿発松本行のバス時刻があるため、取りに帰ることはできない。どうしよう! 私栂池まで行って、一人ゲレンデ 練習か?! とにもかくにも、Tさんにヘルメットとシールを忘れたことをメールする。

新宿の京王バスセンターにつき、Tさんに電話をすると、
「今、メール読んだとこです。シール忘れちゃいましたか、、。じゃあ、スノーシューを持っていきますよ。ヘルメ ットは貸せるので大丈夫です。」
とのこと。ああ、とりあえず一安心。Tさん、ありがとうございます。

スノーシューで登るということは、山ボードの人たちと同じスタイルになるということだ。スキーを背負うのでその 分重く、スノーシューはスキーより沈む。体力勝負だ、頑張ろう。

新宿22時20分発、松本行最終のバスの中は、リクライニングも効いて温かくぐっすり。そして1時20分に松本に到着し 、私はネムルというインターネットカフェで4時間ほど仮眠した。以前、松本駅周辺にネットカフェはなかったのだが 、去年オープンしたのだという。女性専用スペースもあり、煙草臭くもなく、快適に眠ることができた。

4月18日(土曜日)

5時58分始発の大糸線に乗り、信濃大町で乗り換えて白馬大池8時9分到着。既にTさんとSanchanは到着しており、車 に乗って栂池に出発。Tさんは、栂池ヒルクライムという自転車レースに参加したことがあるという。スタートは148 号線から栂池スキー場への道が始まる地点から、今日行くロープウェイの終点までで、標高差1200メートル。私が大学のサイクリングクラブ時代に越えた大きな峠は、知床峠と青森の酸ヶ湯。両方とも標高差は800メートルほどで、でも死にそうになった記憶があるので、1200メートルなんて想像つかない。さぞかし強者ぞろいのレースなんだろうと思う。

4月の栂池は、ゲレンデスキーのシーズンは終わり、閑散とした様子。でも山スキーヤーと思われる人たちの姿は多い 。Tさんが車から、スノーシュー、そして以前に使っていたというシールを取り出した。
「これはただ見せようと思って持ってきたんですが、どうですか? ひょっとして使えそうですか?」
見てみると、まだカービングスキーが無かった時代のものであるが、粘着力はしっかりとあり、ガムテープで板に止める という形をとれば大丈夫そうである。とりあえず最初はこれで登り始めて、もしダメになったらスノーシューに切り 替えるという形で、お借りすることにした。ちなみに今回は、ブーツも、Tさんが以前使っていたものをお借りしている。こんなに山道具を借りるなんて、自分の準備不足が恥ずかしい限り、、。

ロープウェイとゴンドラを乗り継いで栂池駅に到着し、スキーをはいて、Sanchan、私、Tさんの順番で出発。空は快 晴だが、稜線上の雲の動きが速く、風が強いことが伺える。周りはみんな天狗原を目指す山スキーヤー。Sanchanと Tさんが進む角度でスキーを進めていくと、私の場合は絶対ずるっと滑ってしまう。それが怖くて、緩い角度で切り返 しを多くして進むのだが、それだと2人を待たせてしまい申し訳ない。
途中私のはいているスキーを見て、
「おお〜、ジルブレッタだ。なつかし〜な。長持ちしますね〜。自分も山スキーを始めた時に使ってましたよ。」
というおじさん。私がジルブレッタで、TさんとSanchanが最新型のTLTであることに、そのおじさんは笑っていた。

天狗原到着。そのまま白馬乗鞍岳を目指す。角度が急傾斜になってきたので、私は途中で、スキーをザックにくくり つけてツボ足。2人はスキーのままさくさくと進んでいく。稜線につくとやはり風が強かったが、白馬乗鞍のピークと 白馬大池を見に行く。大池小屋がほとんど雪の下に埋もれていて、わずかに出ているのは煙突の先のみ。本当は、こ この稜線を蓮華温泉まで歩く予定だったが、強風なので無理をせずに、振子沢のコースを降りることにする。

驚いたのは、スキー初デビューするかしないかぐらいの年齢の男の子と女の子が、父親に連れられて白馬乗 鞍の頂上にいたこと! そして、その二人は、乗鞍の斜面をなかなかのスキーの腕前で滑って降りて行った。

私たちもこの斜面を楽しんで滑り、後は振子沢を蓮華温泉へ一直線。私はここを滑るのが4回目で、さすがにコースの 様相がわかるようになってきた。最初は、幅広の滑りやすい斜面。だんだんと沢地形かつ樹林帯になり、微妙なアッ プダウンとトラバースが続く。さらに進むと夏は林道となっている橋が見えてきて、その先にスキーを脱いで渡らな ければいいけないもう1つの橋があり、その先が蓮華温泉小屋となる。2階建て、黒塗り木造の立派な小屋。

ここは夏場は木地屋から長い林道を運転することでアプローチできるのだが、積雪期はスキーじゃないと来られない 。建物の外には、既に到着したスキーヤーのスキーが並んでおり、私たちもスキーを置いて、玄関で受付してもらった。今日の宿泊客は60人で、満員 ではないので、3人で1部屋に泊まっていただけますと、とのこと。

時刻は午後2時前、夕飯は5時30分なので、まだたっぷりと時間がある。

蓮華温泉の1部屋は、真ん中に練炭入りの炬燵があり、大きさは約八畳。押し入れの中にはお布団があり、さながら温 泉旅館と変わらない。ザックの中身を広げると、三人三様でおもしろい。Tさんは日本酒とウィスキー、小さなおせん べいのおつまみを取り出す。Sanchanは食糧に関しては念には念を入れるタイプで、もし3人が遭難しても大丈夫とい うぐらい大量の行動食。私は、自分が好きな茂蔵の枝豆豆腐を取り出す。明日が本番なので、今日は体力を温存して おこうということで、3人はのんびりしながら色々と歓談。

(私が歴史&お城が好きだったため)日本百名城の話
武田信玄は城を作らなかったから、山梨には百名城はない?
→後で調べてみたが、日本城郭協会が百名城を選定しており、山梨県には、武田氏館と甲府城。北陸三県には高岡城 、七尾城、金沢城、丸岡城、一乗谷城の5城。
山梨県は、甲府を中心とする国中、富士山近くの群内に分けられ、名の示す通り、国中が中心となる。
山梨県のほうとうは、作って2日目のかぼちゃとかがどろどろに溶けた状態がおいしい。小作(というレストラン)は、まだまだおいしいほうとうではない。
富山は、呉羽山を中心に呉西、呉東。高岡市と富山市は、ライバル。
富山近辺で、東日本のそば文化と西日本のうどん文化が交錯する。魚津駅?のプラットホームで、そば・うどんの看板 が、うどん・そばになる。
関西に白い恋人ならぬ、「おもしろい恋人」というお菓子が存在。クッキーではなくゴーフルで、パッケージもよく 見ると大阪城のモチーフなのだが、全体の印象は白い恋人にそっくり。
難波?辺りに「ミニスカートのお姉ちゃん100円引き(スパッツ、タイツはダメ)」という看板を掲げた定食屋がある 。

3時ごろになり、2人は宿から20分ほど雪道を歩いた外湯(薬師の湯)へ行くという。私は前回、外湯まで歩いて行ったことがある。とても見晴らしがよく気持ちよさそうなのだが、直径1〜1.5メートルほどの漬物樽1つぐらいの大きさで、かつ脱衣所もないので、女性が浸かるのは とても難易度が高い。私は2人をお見送りした後、玄関で自分のアイゼンを、Tさんから借りているブーツに調節す る作業を行った。

そして、その後は建物内にある内湯で、新田次郎のエッセイ集をよみながらのんびり1時間30分。私が5時ごろ部屋に 戻ると、二人は既に外湯から戻ってきていた。気持ちよかったが若干風が強かったとのこと。このまま風が強かったら、明日は雪面がカリカリだね、明日は兵馬の平まで下ったら、下り過ぎなじゃないか、といったことを話しながら、5時30分に下の食堂へ。

褐色に日焼けしたスキーヤーが大勢集まっていて、私たち3人は偶然、今日単独で雪倉岳に登ったという人と夕飯のテ ーブルが一緒になった。

今日は風が強かったので、ほとんどの人が途中で引き返していったが、彼は単独で山頂まで登頂。今は横浜在住だが 、生まれは北海道オホーツクの雄武町、去年まで2年ほど実家に帰っており、その間地元の山岳会の人たちと山スキー に行っていたという、相当雪慣れした感じのおじさんである。

私たちは色々道の状況を尋ねた。兵馬の平までは滑らずにトラバースしていった方が速い、1時間ぐらい。稜線伝い には登れなさそうだったので、沢沿いに行った。上のほうは、広い田んぼ状になっており、ここからの風が強かっ た。明日は天候は曇りだが、今日よりは風が弱まる様子。道の状況が聞けて、とりあえず一安心。

雄武町のおじさん曰く、オホーツクのあたりは、いろいろな自転車イベントがある。山スキーやる人は「登る苦労と降り る爽快感」という共通点があるからか、自転車好きな人が多い。
Sanchanの元会社の同僚で、34歳でスキーを始めて2年でスピードスキーの大会でデモンストレータを抜かして上位入 賞するようになった人がいる。長いことバイクレースをやっていてスピードに対する恐怖心がなかったのと、天性の バランス感覚を持っていた人だった。
自転車のヒルクライムで、タイムを狙う人は登りとレース終了後の下りで、異なるホイールを使う。登りは道路との 摩擦、衝突も少ないので、とにかく軽さを重視したホイール。そして下りは少し頑丈なホイール。レース終了後の下り道は、登り用の ホイールを担いで降りる。

スキーのレースも、上位者の世界になると、お金でコンマ何秒を買うという世界になってくる。同じスキー板を2セッ ト用意するのは、練習用と本番用という使い分けのためで、凝る人はこの2セットを毎年買い替える。本番当日、ワッ クスを塗って下準備を完成した上で、スタート直前に1本10000円以上もする粉状の特別ワックスを使うらしい。

夕飯は、真空パックと思われるハンバーグとパスタがメインだったが、どこで仕入れたのかコゴメとフキノトウのて んぷらがあるのがうれしかった。この後は部屋に戻って3人でまた歓談。

Sanchanは大学で熱心にゲレンデスキーをやっていて、山スキーに目覚めて3ヶ月で富士山を滑りに行ったという。ゲ レンデの時点で相当うまかったのは間違いないだろうが、その上達ぶり、すごい! 山スキーではよく遭遇するカリ カリ雪やモナカ状の雪の滑走は、ゲレンデではなかなか練習しづらい。さらにホワイトアウトや天候の急変、地図読 み、それらの技術をどうやって習得したのだろうか!

蓮華温泉小屋は9時に自動消灯する。1日運動して、9時に寝て、明日も早朝から山スキー予定。なんて健康的な週末、、。

4月19日(日曜日)

朝4時に2人が起きて、荷物のパッキングを始めた音で私は起きた。空は既にぼんやりと明るく、天気は現段階では快晴 。朝ごはんは、自分で作った蕗味噌入りおにぎりと茂蔵の枝豆豆腐。

5時30分に、シールとクトーをつけて出発し、瀬戸川までトラバースしながら進んでいく。昨日の人たちの跡がしっ かりついているので迷うことはない。途中、蟹登りで進む必要のある場所が数か所。そして、1時間ほどかけて、瀬戸川へと降りるポイントへ着いた。2人はここでシールを外すが、私はシールをテープで巻いていて取り外しが面倒な ので、短距離だから瀬戸川までシールをつけて降りることにした。ところがシールつけた状態だと、斜滑降はできる けど、ターンできない! 転んで木の根元の穴に落ちそうになったり、最後の斜面で2〜3回こけて、なんとか到着。

目の前に現れたのは雪倉岳の登り斜面。最初は緩く、その後徐々に急傾斜になっている。
「内田さんは、アイゼンで登ったほうがいいね。」
という2人のアドバイスに従って、私はスキーをザックに括り付け、アイゼンを履いた。ザックを背負う。ズシーンと 重い。歩き始めると、一歩一歩も、なんだかきつい! スキーって一体何キロ?
Sanchanは、特に足運びが速いようには見えないのだが、なぜか速い。Tさんも速い。いいなあ、私も斜面ザーッを確 実に回避できるだけの技量があれば、こんな重いザックを背負わなくてもいいのに、、。
2回の休憩で、最初見えた稜線までは到着し、小さい尾根を乗り越して右側に移動。途中振り返ると、戸隠、妙高など の美しい山並み。

今日の標高差は、蓮華温泉1450メートルから雪倉岳2611メートルまでの約1100メートル。
「今1950メートルぐらいです。」
と聞いて「まだ600メートル以上もあるのか!」と私は心中絶叫した。樹林帯を抜けたところでちらほらと雪が舞い、 風も若干強くなった。私は
「ああ、これで引き返しましょうってなってほしいけど、そうはならないな、、。」
と思いながら、2人の後ろをついていく。

しかし天気は残念ながら下り坂、、。稜線上の雲の流れは速く、だんだんと辺りは霧がかかるようになってきた。そ して最後の登り斜面にかかる。Tさんの「後、標高差80メートルです。」という言葉を頭に刻んで、なんとか、やっと こさ、頂上に到着! 3人でつかのま喜んだものの、雪はいつしか雨に変わっており、辺りはホワイトアウト気味。
「じゃあ、来た斜面をそのまま降りるってことで。」

山頂写真もとらずに、Sanchanが先頭、その後を私、最後をTさんという形で出発することになった。雪はややゆるん でザラメ雪。かりかりでもモナカでもなく、私でも転ばずに滑れるのがうれしい。3人しかいない大雪 渓を、個々人自由なシュプールを描きながら滑っていく。前を滑るSanchanの滑りは、なんとも優雅。体とスキー板が 一体化している感じで、ターンがパッパッととても軽く見える。私は、ターンしようとする体の力がスキー板に伝わ るのに若干タイムラグがある感じ。う〜ん、何が違うんだろう。

登りに4時間かかった斜面は、下るときにはあっという間である。1時間もかからずに瀬戸川に到着。そしてシール をつけて、蓮華温泉までのトラバース開始である。この時間はもう雪が緩んでいるから、クトーは効かないというこ とで2人は外すが、私は斜面滑り防止のために、シールとクトーをつけて歩く。

ちょっと登り返したところで、改めて休憩。加山雄三主演の「アルプスの若大将」という映画がある。1966年公開の もので、「私をスキーに連れてって」より一昔前に、日本にスキーブームを引き起こすきっかけとなったという。今 度見てみたいが、ツタヤで見つかるだろうか? 雨は降り続けており、霧雨よりむしろ本格的な雨になってきた感じ。

来た時と同じ、針広混交林の間を進み、約1時間で蓮華温泉の建物が見えてきた。最後少しというところで、私は斜面 をザーッと滑ってしまうが、すぐに体勢を立て直し、無事に小屋到着。ちょうど、朝日岳に行ってきたというパーティーも帰ってきたところだった 。小屋に入って水の補給をお願いし、木地屋に降りるためのルートを尋ねる。小屋を出て最初の橋を渡ってちょっと 行った所から平岩へスキーで降ります。角小屋峠への登り返しは、最後笹が刈ってある個所を登るのが一番楽だと思いま す、後、先週から木地屋に除雪が入って雪と道路の間にけっこうな高さができているので降りるときは気を付けてく ださいとのこと。時間は13時過ぎで、私たちはすぐに出発。

私は以前、山岳会のおじさん2人と木地屋まで行ったことがあるが、平岩へは降りず、距離は長いが林道をずっと歩い て行った。時期はGWで林道の雪は溶けてほぼ平坦になっており、シールなしでかかとが上がるようにして、すいすい 走れる状態だった。ところが、今日はまだ林道には多くの雪が積もって、雪崩が起こりそうな斜面の状態。3人はシー ルを外して平岩へ滑走。そして、2人はシール、私はスキーをかついでスノーシューで登りかえすことになった。しば らく登ると林道と合流し、そこを長々と歩いていくことになった。

右側が上、左側が下の斜面の長い、長いトラバース。前回木地屋に抜けた時に、すいすい走れた状態とは全然違う。 スノーシューでも時々ずるっと滑りそうになるのが怖い。Sanchanは頑張ってなさそうに見えるのに、なぜか速い。

長い長い林道が終わり、やっと目の前に角小屋峠が見えてきた。と言っても前に尾根が立ちはだかっており、それを乗 っ越す感じになる。頂上付近は、蓮華のお兄さんが言っていた通りに笹が刈ってあり、そこを越えると尾根に到着。時刻は3時過ぎで、ちょっと急がなければならない。

2人はすぐにシールを外し、私はスノーシューを背中に括り付けて滑走開始。沢へ の斜面は雄大で気持ちがいい。底まで滑って沢を越えて、右岸をゆっくりと下ることになった。

進行方向に対して、右が高く左が落ちている斜面をトラバースしながら、ずっと進んでいく。下り気味なので、スキーをこがな くてもよいが、ずっとバランスをとっているため足が痛くなってくる。やっとそのトラバースが終わり、ひと段落し たところで、Sanchanが
「いや〜、今のトラバース、左足が痛くなりますね〜。」
Tさんも
「そうだね。」
と言った。私は驚いた。左足?? 私が痛いのは右足なのだが?

「あの、今のトラバースだったら、痛くなるのは左足なんですか?」
「うん。普通はそうだよ。」
と言われ、私は愕然とした。ああ〜、、私の滑り方普通じゃないんだ。何かおかしいんだ!ということを改めて認識 した。Tさん曰く、左側に体重がかかっていると安定するし、もし左が滑ったとしても、右でなんとか止めることがで きる。右に体重がかかっていると、左が滑ったらそのまま斜面を滑ってしまう。

おそらくトラバースの時、私は常に間違った側に体重をかけているのである。だから、斜面ザーッを繰り返してしま うのだ。という理屈はわかった。しかし、この癖直せるだろうか。またトラバース気味の斜面が始まり、私は左足に 体重かけるの怖いよ〜、、と思いながら進んでいった。

雨はまだ降りやまない。私のはいていたズボンはいつしか水を吸って、重さのため半分ずり落ちてきている。直そう としたが、うまく直らない。もう一刻も早く温泉への到着を願う。白池の横を通り、最後標高差200メートルを降り、 除雪車を発見! もう木地屋は近いはずである!

先行者の跡をたどってトラバースしていくと、うまく道路に降りる箇所が見つかった。先に降りたSanchanが、Tさん と私のスキーを受け取ってくれて、無事に道路へ着陸。ここから駐車場までは約1.3キロとのこと。スキーを持って道路を歩く時に、Tさんは上手にかっこよく肩にかつぐ。私も真似して持ってみるのだが、、なんだか安定せず も片方ずつ手で持ったり、両手で抱えてみたり、四苦八苦して2人の後ろを歩いていると、道路両脇にフキノトウが出 ているのを発見! 先週の除雪後すぐに、地面から頭をもたげたのだろう。普通より茎が長いものが多く、一風変わっ たフキノトウであった。

そしてぎりぎり5時になる前に、Sanchanのワゴン車が止めてあるところに到着。びしょびしょで申 し訳ないと思いつつ、椅子に座り、栂池へと向かう。山から下りて、148号線(大糸街道)を通り、大所トンネルを通 過し、さらに南下して、、栂池スキー場、意外に遠い、、。お風呂、早く入りたい、、。

やっと着いたときは、17時40分時で既に陽が沈みかけていた。ロープウェイ乗り場横の温泉は、登山客への対応に慣 れていて、これ以上ないぐらいに濡れた1000円札をまったく嫌な顔せずに受け取ってくれた。脱衣所で洋服を脱ぐと 、どっしり重たい濡れっぷり。脱水し忘れたズボンとTシャツを着て1日を過ごしてみました、みたいな状態だった。

体を温めて出てくると既に2人は休憩室で待っていた。Sanchanはさっと立ち上がり、先に玄関に向かう。Tさんは足を 止めて休憩室のテレビのサザエさんを見ている。Tさん、なぜそんなに熱心にサザエサンを?と思ってその画面を見る と、なんと、紹介されている観光名所が富山バージョンのものだった。立山、ホタルイカ、散居村、チューリップ。 北陸新幹線の開通に合わせての宣伝オープニングらしい。(調べてみたところ、今は春バージョンで、7月5日からは 夏バージョンになるそうです。)

この後3人は、また148号線を北上して、道の駅おたりで夕飯を食べた。お刺身とてんぷらがメイン。でもそれ以上に うれしかったのは、野沢菜と大根の梅酢漬けが自由に食べれたこと。やっぱり長野は漬物王国! Sanchanとはここで お別れ、2週連続お世話になりました。ありがとうございます! 

この後、Tさんの車で、高原兄さんの音楽をBGMに聞きながら富山へと向かう。YKK(冨山が本拠地)社長の娘さんが歌っている黒 部宇奈月温泉駅のテーマソング。??小学校廃校の歌。KNBの女子アナ3人による富山弁丸出しの曲。

富山のTさんの家についたのは、夜9時20分ほどで、山からの帰りがこんなに遅くなったのは珍しいとのこと。うらや ましい。東京に住んでいると、下山したのは日暮れだとしても、帰りの中央道で渋滞にあい、石川SAあたりで夕飯を 食べて、東京駅につくのは夜9〜10時というのはしょっちゅうである。

Tさんの家にあった北日本新聞を見させていただくと、一面に季節の写真として、僧ヶ岳の雪形と北陸新幹線。1970年 代前半まで存在した称名滝への旧吊り橋の跡を探るという記事。

富山バージョンのサザエさん見て、高原兄さんの音楽聞いて、北日本新聞を読めば、いつのまにか富山郷土愛が育ま れてしまう。

時間は短かったけれども、ビールと日本酒で乾杯して今回の写真を見せていただき、私はあわただしくTさんの家をお いとました。先週と同じ、2330発の高速バスで、東京へ!

今回もいろいろご迷惑おかけいたしました。Tさん、ゆずっていただいたブーツで頑張って精進いたします!