Salamat pagi!

インドネシアに,初めて足を踏み入れたときに感じた"あの熱気"と,書くと,東南アジアを旅した人なら,"ああ,あの熱気ね."と理解してくれると思う.4月の札幌はまだ寒かった.そこから,大韓航空ソウル経由で飛ぶこと8時間.私と宮本さんはJakarta空港へ降り立った.飛行機の中から見たJakartaの夜景から感じた印象は,とりあえずでかい.人口1000万,東京に匹敵する大きさなのである.夜だというのに,暑い.初めての国に緊張する私の心も暑い.

「じゃあ,とりあえずタクシーでボゴールまで移動しよう」と言うことになって,宮本さんは流暢なインドネシア語で交渉を始めた.どう見てもケンカにしか見えない.そして値段交渉は終り,乗るということが決まるか決まらないかのうちに,運ちゃんは私の荷物をすばやくとってトランクに入れた.チップ代も重要な稼ぎなのである.そして,夜景きらびやかなJakartaの町へと車は走り出した.大きなやしの木.高級ホテル街.夜だというのに緩和される気配がない交通渋滞.運ちゃんの運転もそれは荒い,荒い.交通渋滞の間を縫うようにして,先へ先へ,一刻も速く!!「ゆっくりでいいすよ.」といい続けた宮本さんの言葉に対し「大丈夫,大丈夫!!」といい続けたカーチェイス並の運転は,インドネシアに対する期待で高まりつつあった私の心と妙に共振したのであった.

カリマンタン島,中央カリマンタン州の都,パランカラヤが今回の調査の目的地.ボゴールでのインドネシア科学院への挨拶などを終えて,やっとパランカラヤ入りしたのは,4月13日であった.本当の調査地はパランカラヤからさらに離れたラヘイという地域.水道も電気もガスもないところらしい.パランカラヤで大量の食糧を買い出しし,ラヘイまでの車を手配して出発.メンバーは,宮本さん,科学院の技官であるスナルディーさん,パランカラヤ大学のアリム,そして私の4人である.車は,本当におんぼろで,スピードメーターの針がなかったし,色んな部分が剥がれていて,車の内部構造が非常に良く観察できる車だった

悪路を揺られること数時間,着いたところは一軒の木造小屋.車から大量の荷物を降ろす.小屋の隣には透明の紅茶色の川が流れている.「ああ,前回作ったの全部流されてる.」宮本さんがそういった.川の上に作ったトイレやマンディするための渡し板が流されてしまったのだそうだ.3人はさっそうと,渡し板作り,ヤシの葉で葺いてある屋根の補修,ランプの調整,小屋内の掃除,などを始めた.私も見よう見まねで手伝うが3人の手際の良さには足下にも及ばない.3人はアッという間に渡し板を完成させてしまった.そしてしばらくして川下のトイレも完成.徐々に日は暮れ始め,スナルディーさんが準備したランプをともすと小屋のなかは,なんとも快適な空間になった.

掘立小屋

アリムは私と同い年ぐらいかと思っていたら,実は28才だった.とても若々しく見える.

物静かだけど,仕事は早い.頼れるお父さん的存在のスナルディ─さん

その次の日からいよいよ調査が始まった.調査地は小屋から15分ぐらい歩いたところにあるが,15分という感覚が良く分からない.日本でうちから駅までも15分ぐらいだけど,全くその感覚とは異なる.真っ白い砂地の上を,その両脇は高い熱帯雨林がそびえる道を,鳥や虫たちの鳴き声を聞きながら歩く15分.

空がきれいだった.

これが,調査地に向かう通学路である.

宮本さんが今回測定するのは,木々の成長量.プロット内にある木を切って,枝,幹,葉,花に分けて測定する.1日目,2日目は物珍しく楽しいが,だんだん”忍耐のいる単調な作業”と言うことが分かって来たのである.しかし,調査地に突然カメが現れたり,きれいな蝶が飛んでいたり,ある日は"はりなしばち"が大量発生したり,大きな木が倒れる音が突然響いたり,ウツボカズラを実際に見たり,アリムとスナルディ─さんの鉈の使い方のうまさに感動したり,,と色んなことがあった.2人は本当に鉈の使い方,さらにはあらゆるアウトドア術に卓越していた.例えば,はりなしばち大量発生の日には,アリムはたき火をして煙を起し虫をいぶしてくれたし,種の同定のために上の方の葉を取る必要があると,鉈で手頃な大きさに枝を切り,葉層に向かって投げる.また鉈で枝やロタンを切る姿がなんとも鮮やかで決まっているのである.初めての熱帯雨林の中でおどおどしている私にとって,2人がごく自然に森と対峙している姿は,とてつもなく素敵だったのである.

スナルディ─さんの背中にあるのは樹高棒.木の高さを計る.

今日も無事に仕事が終わった.暑かったなあ,今日も.そう思いながら,小屋までの道程を歩くのは,なんだか安心する一時である.小屋に帰ったら,イブ(小屋での生活中料理をしてくれる近隣の村のおばちゃん)が,コーヒーを入れてくれるのだ.それを飲んで一息したら,川でマンディーして,夕飯までのんびりする.というのが日課であった.私が小屋の生活で一番好きだったのは,マンディーである.紅茶色の川での水浴び.水量はたっぷりと豊かで,石鹸の泡は勢い良く下流へ流れていく.川の流れの音と,鳥と,虫の声.このマンディーする場より上流に,食事用の水汲み場がある.そしてずっと下流にはトイレが作ってある.全て流れていって,その次の瞬間には新しい水が上流から絶え間なく流れてくる.私は,川の偉大さを生まれて初めて,体感した.

帰ってきた.小屋が見えてきた.小屋は,いつのまにか,homeになっていた.

マンディー,はここで生活する人の特権かも知れない.