猿倉から親不知へ!



福岡に住んでいる知り合いが、数年前に北アルプスの乗鞍岳から日本海の親不知まで2週間かけて縦走した。その方は、今はさらにパワーアップしてマッターホルンのサポート隊としてヨーロッパアルプスに遠征するようになっているが、当時送られてきた日本海をバックにした写真と「もうしばらく山はいいです〜」というメールが私の中ではいつまでも印象的で、いつか親不知までの縦走路を歩きたいと思っていた。

2013年夏、山と高原地図を見て考える。
1日目、猿倉から白馬岳を登り、稜線を北上して朝日小屋まで13時間。
2日目、朝日小屋から栂海山荘まで9時間。
3日目、栂海山荘から親不知まで9時間。
通常、私は山と高原地図に記載してあるコースタイムの6〜7割の時間で登るので、3連休を使えばいける! そう私は、決心した。

9月13日、夜23時に新宿を、猿倉行きの毎日アルペン号にて出発。運のいいことに隣は空席でゆっくり横になりながら過ごす。

「おはようございます。ただいま5時ですが、外がだんだん明るくなってきました。」
運転手さんの声で眠りから覚めた。予定では6時に猿倉到着だったが、それよりも早く到着していたらしい。バスの中の乗客がゆっくりと動き出す中、私もサンドイッチとオレンジの朝ごはんを食べて、登山靴の紐を結んだ。5:30に猿倉を出発。しばらく行くと、白馬尻小屋の手前に「お疲れ様! ようこそ白馬大雪渓!」と書いてある一枚岩が現れ、その奥には長大な雪渓が稜線の方まで続いているのが見えた。

3年前に会社の山の会の人たちと登りに来たときは、7月の夏真っ盛りで雪渓はまだ膨大な体積と重量を持って存在しており、アイゼンをはいて進むべき雪の上には赤のペンキでルートが示されていた。ところが今は、それよりも遥かに雪は溶けて、ルートは雪渓の左端に現れた山道を行くようになっている。

自分1人なので好きなペースで標高を稼ぐ。心臓の鼓動が速めのドッドッドッドッぐらいになると、汗が噴出して心地よい。

以前ここに登った時のメンバーには会社の社長が含まれており、彼が一番歩くのが遅かった。社員の人たちは一様に社長に気を使って歩みをそろえていたが、私は1人30代の紅一点で、体力があることを皆知っていたので、リーダが先に行くことを許可してくれた。その後私は軽快に登り、山頂宿舎で社長一行が来るまで2時間も待ったのである。そのことを懐かしく思いながら、今日も登る。

山頂宿舎に8:30到着。中にある展望レストランで250円の味噌汁を飲みながら休憩し、テレビの天気予報を見ると大型の台風18号は明日、明後日に本州に上陸する見込み。

快晴の下9:20に白馬岳到着。360度の展望で南西には剣、真南には槍穂、そして向かう北側には丸みを帯びた山容を持つ雪倉岳が見えるが、なぜかコンパスがその方向を指さない。
「コンパスって突然壊れるのか? しかし、何故、、。」
思い当たることが1つだけあった。それは、私が常にコンパスと一緒に首からぶら下げているスイスのアーミーナイフである。これは強い磁場を持っているらしく、アーミーナイフと近接した状態だとコンパスの方向が狂うことはよくあった。しかし、それが影響を及ぼして永久的にコンパスの針が狂ってしまうことがあるのだろうか? 今回はルートが明瞭な夏道だから良いが、冬山でこれが起こったら致命的である!



白馬山頂より



長野、新潟、富山の県境である三国境を左に折れて雪倉岳に向かう。緩やかに下る山道の両脇には、一夏の命を咲き切った花々が静かに朽ちていく姿が見られる。



ミヤマダイコンソウ





一夏を咲ききったウルップソウ



しかしその中でマツムシソウは今だ艶やかな紫色を呈し、オヤマソバは白い穂を実らせ、コバイケイソウは茎上部につけた種子を風に揺らし、ウラシマツツジは来る秋に向けて紅葉の準備を始めている。



マツムシソウが晩夏を彩る。





オヤマソバ





ウラシマツツジは北アルプスを紅に染める植物の1つ。





まだ斜面には雪渓が残る。この季節にあるということはほぼ万年雪だろう。





シラタマノキ。メンソレータムの匂いがします。





実るコバイケイソウ





チングルマ、カザグルマのような姿が語源





せり科の花





ミヤマアキノキリンソウ





実るコバイケイソウ



私は一人、晩夏の花々とカメラを通して交流しながら、ゆっくりと歩を進めていった。11:20雪倉岳に到着。振り返ると白馬岳と杓子岳が見える。今日の行程の半分を歩いただろうか、時間的にはまだ余裕があると安心し、新しい植物を見つける度にシャッターを切った。



雪倉岳の頂上





雪倉から白馬を振り返る





オオハナウド、これを見るとナウシカの胞子を思い出します





トリカブト





紅い実のななかまど? 





ウメバチソウ。群生しては咲かずに、いつも一輪でりんとして咲く





なんだろう? 初めてみました。





コケモモはまだ食べるには早い感じ。





ゴゼンタチバナ





大きなガレ場となっているツバメ岩に到着



約2100メートルの鞍部にあるツバメ岩という岸壁を通り越すと子桜ガ原という湿原になった。 そこには、イワイチョウやミツガシワ、オヤママリンドウが静かに咲き誇っている。



オヤマリンドウ。一番好きな色の花です。





湿原保護の看板。





ミズバショウ。花が終わって葉が巨大化しています。



ここから300メートルを登って朝日岳の頂上についたのは14:10。曇りで何も展望はなく、私は一人で、咲き終えたコバイケイソウとマツムシソウが静かに風に揺れているのを眺めた。今日泊まる朝日小屋はここから30分の下り、ほっとして一息つく。



朝日岳頂上の方向盤





木道を下っていけば朝日小屋。





ハイマツ。紫色の実は、後にまつぼっくりとなる。



下る途中で遭遇したのは、木道の補修を行っている人たちだった。ヘリで運ばれた木材を丹念に地面に打ち込み固定していく作業。手に持つトンカチは柄の長さが1メートル近くあり、それを振り下ろす腕はたくましい。それにしても一日中この作業を続けるのは並々ならぬご苦労である。



木道工事





ベニバナイチゴ。これ食べれます! かつすごくおいしいです。





サンカヨウ。白い花が終わると、紫色の実がつきます。





クロマメノキ。ブルーベリーの原種でこれも食べれます。



15:00過ぎに朝日小屋到着。小屋前の広場にはテントが5張り程あり、小屋の中には既に多くの登山客がいてなかなか盛況な様子。私は小屋の受付で自分の名前を言った。
「内田さんですね、、あっ。今日猿倉から?」
「はい、そうです。頑張って歩いてきました。」
「速かったわね! すごい、、健脚だわ。そういえば今日もう一人猿倉から歩いてきたって言う男性がいましたよ。」
と朝日小屋のオーナーの清水さんは言って、今日私が寝るところは2階の大部屋であることを教えてくれた。

私は自分にあてがわれた布団の隣にいた年配の女性2人と仲良くなった。既に定年、定年まで後少しというお二人はその年齢には見えぬ程若々しくてきれいだった。高山植物にもとても詳しく、私が今日撮った写真を見せると、図鑑と見比べながら色々と教えてくださる。二人は、明日明後日で2回目の栂海新道を歩き、親不知観光ホテルに1泊して東京に帰る予定だそう。

朝日小屋はご飯がおいしいことで有名で、5時になり夕飯の時間となった。席順はグループと個人客が分けられて既に決まっており、私はしばし年配の女性2人と別れて個人客の席に座った。
食前酒とともに机に並んだのは、色鮮やかに盛られたおかず。皆が着席したのを確認して、オーナーの清水さんが挨拶をする。
「皆さん、よく朝日小屋にいらしてくださいました。この小屋では、皆さんが明日もまた元気に歩けるように、スタッフ一同頑張っておいしいご飯を作ることを心がけております。簡単ではありますが、今日のメニューの説明をさせていただきます。」

その説明によると、ホタルイカ、富山県産の100パーセントコシヒカリ、栂海新道と名付けられた食後の和菓子、サス(カジキマグロ)の昆布〆、鶏肉の照り焼き、茶そば、とろろ昆布の入った富山おでん。



夕飯、すごくおいしかった〜!



皆、感嘆しながら思い思いに箸を取って食べ始める。隣にいたメガネをかけた壮年の男性に話しかけると、なんと彼が今日猿倉から来た登山者であった。
「私も猿倉から登ってきたんです! 明日はどこまで行く予定ですか?」
俄に親近感を覚えて私は喜ぶ。
「明日は、台風も近づいているし、朝早く立って親不知まで行こうかと。」
「わ、すごい。」
私が所属している山岳会には、100キロのトレランなども走りこなす凄いお姉さんがいるが、彼女が栂海新道を歩いたときに朝日小屋から親不知を1日で走り抜けた。それと同行程を行くつもりとは、このおじさん只者ではないらしい。

お住まいは富山市で、山登りとともに自転車も趣味。例えば、常願寺川の河口から馬場島まで自転車で行って、2998メートルの剣岳山頂まで登り又自転車で帰ってくるという、標高0メートルからをコンセプトにした山行をよくやるという。

以前風のうわさで、そういうスーパー山行をこなすお医者さんがいると聞いたことがある。もしかして、、
「あの、お仕事は何をされているんですか?」
「仕事は、大学で教員をしております。」
おお、ドクターではないが、プロフェッサー! 教授だったのだ。仕事も趣味も半端ないすごい人である。

生まれは金沢、学生の時に東京に出てそのまま東京の大学で働いていたが、7年ほど前にJターンという形で富山大学に転任してきた。
「やっぱり富山にいると山に行きやすくていいですね。天気のいい日に日帰りで2000〜3000メートルの山にいけるので。」
「そうですね! 東京人にとって富山は遠いんですよ。特に馬場島なんか。」
そんな会話をしながら、私も明日頑張れば親不知まで行けるだろうかという想いが頭をよぎる。

夕飯の後外に出るとちょうど時刻は夕暮れ時で、北アルプスの山々は晩夏の闇を受け入れつつあった。



きれいな夕陽を見ることができました。



北俣から登ってくると初めて朝日小屋が見える小高い丘がある。ここから三角屋根のかわいらしい朝日小屋を眺めることができる。



三角屋根の朝日小屋



夜は小屋の本棚にあった「立山信仰と芦峅寺」という本を手に取ってみた。江戸時代後期、立山参拝は庶民が一生に一度と願う深い信仰心に基づいた旅であったが、その一方で物見遊山的な要素もあった。また芦峅寺の住職が一枚一枚刷って作ったお札やお守りの帳簿からどの年の利益が大きかったかがわかるという。

9月15日
朝4:30に目が覚めたときには、向かいに寝ていた教授の布団はきれいにたたまれ、既に出発した後だった。

朝食は朝5時からで、昨夜と同様、オーナーの清水さんが挨拶をする。
「皆さん、おはようございます。今日はお伝えしたいことが2つあります。まず1つは今朝もご飯をたくさん食べてください。」
座っているお客さんたちからどっと笑いがこぼれる。



今日の朝ごはんも素敵! ベーコンがたっぷり入った玉子焼きがおいしかったです。



「えー、もう1つは台風のことです。」
と言ってテレビのスイッチを入れると、台風18号の進路が示された天気図とアナウンサーの声が流れ出した。皆、朝ごはんを食べながらテレビと清水さんの話に耳を傾ける。
「ご存知の通り台風18号近づいております。今日の富山の天気は曇りのち雨ですが、明日はかなりの確率でざんざか降り、稜線では相当厳しい強風が予想されます。今なら北俣や蓮華に降りるというルート変更も可能ですし、行かれる場合はどうか怪我のないよう十分気をつけてください。
皆さんの中には今日から栂海新道を歩いて日本海に向かわれる方が多くいると思いますが、今日泊まることになる栂海山荘、もしくはその先の白鳥小屋は無人小屋です。ここみたいに電気もありませんし、狭い中で濡れたものを乾かすという状況の中で何かトラブルが起こると、小屋の中の人みんな嫌な気持ちになります。どうぞそこのところをご理解の上、マナーを守って小屋をご利用ください。玄関のところに、ビニール袋おいてあります。濡れたものをさっとしまうのに便利なので、よかったら持って行ってくださいね。」

なんて心のこもった的確なアドバイスだろうと私は思った。山小屋のオーナーとして皆に安全に山を楽しんでほしいという真摯な想いが伝わってくる。

さて、私も今日はどこを目標にしよう。白鳥小屋かそれとも親不知か。何はともあれ腹ごしらえ、ということでご飯をお代わりし、荷物をまとめて5:30に朝日小屋を出発した。



子蓮華岳を見て出発。



雨は若干ぱらついていたが、レインウェアを着るほどでもない。6時に朝日岳山頂。



朝日岳の山頂。やや小雨。



長栂山を6:30に通過し、照葉の池で湿原植物の美しさにほっと一息。



照葉の森。誰が命名したのか、素敵な名前。



昨日の疲れをほとんど感じることなく、快適に足が進んでいく。やっぱり朝、コシヒカリのご飯をお代わりしておいたおかげだろうか! そう思いながら予想以上に早く8:00に黒岩山到着。ここから日本海の親不知までが栂海新道と呼ばれ、さわがに山岳会が1966年より6年の歳月をかけて抜開した。以来、日本海へ下る、もしくは海から白馬岳へ登るルートとして多くの登山者の憧れとなっている。

明日は台風が来るというのに、栂海新道を登っている登山者がいるのには驚いた。
「今日どこまで行くんですか?!」
「今日は朝日小屋の予定です。明日どうしても天気が悪ければ、北俣か蓮華に降りるつもりです。」
逆に彼らは、私が今日朝日小屋から親不知を目指していることを知って、驚く。お互いの無事を祈って、再び歩き始める。



高曇りの日でした。



再度、湿原を通り、何種かの湿原植物に出会う。



アヤメ





コオニユリ





何アザミかな〜。





ワレモコウ





ミズバショウの後にある、ややピンク色の花、なんだろう。





黒岩山には8時到着。





稜線をずっと歩いていく。





オオカメノキ





いくつものピークを越えていく感じ。





北又の水場、9時10分到着。





やっぱり山深いです。





オヤマリンドウの群生





珍しい。青と白のリンドウ。



犬ヶ岳には9:30に到着し、そこからは鞍部に位置する栂海山荘が見えた。



犬が岳頂上。栂海山荘が見えます。後少し下れば!



かわいらしい赤と緑のトタン屋根を持つ栂海山荘の前に到着し、その外観を眺めていると、いきなりドアが開いて中から出てきたのは昨夜の教授! お互いに驚き
「今朝は何時ごろ出発されたんですか? 朝起きたらもういないなと思って。」
「2時ぐらいに出発しました。そちらは何時ごろだったんですか?」
「私は朝ごはんを食べた後で5:30ぐらいです。」
「それでもうここですか! 速いなあ。」
そういえばまだ名乗っていなかったので、改めてお互いに自己紹介。

そしてここからは、教授ことTさんと親不知までご一緒することになった。



建物の中もとてもきれい! 一度泊まってみたいです。



昨日一日そして今日午前中とずっと単独行だったので、同行者ができたのはとてもうれしい。旅は道連れ、親不知まで!!

Tさんは、中学生の頃に父親に自転車を買ってもらってサイクリングの魅力にはまったこと、佐渡金山のヒルクライムで年代別で2位に入賞したこと、今までに行った標高0メートルからの山行などについて語ってくれる。
「その標高0メートルからのすごい山行をしている有名なお医者さんいらっしゃいますよね? ご存知ですか? 私昨日お話していて、Tさんがその人かなって思ったんですよ。」
「いや、私は違いますが、その人は早川ドクターだと思いますよ。金沢市で開業されている、内視鏡ではけっこう評判な内科医で。私も時々、早川さんと山行にご一緒させていただいています。」
なんと!Tさんはそのスーパードクターの山仲間だったのだ。

黄蓮の水に10:30到着し、私が作った人参入りのパウンドケーキを食べながら休憩。



黄蓮の水場



「富山の駅の近くに「剣岳、早月尾根を愛する会」という看板を掲げた枡天って居酒屋があるんです。今日は降りて時間があったらそこに行こうかと。」
「いいですね。山好きが集まる飲み屋なんですか?」
「ええ、主人が昔に山をやっていた人みたいで。内田さんも2日で猿倉から親不知まで縦走したって言ったら歓迎されますよ。」
「本当ですか? じゃあよかったらご一緒させてください。」
それを励みに、栂海新道を北上する。



菊石山 10:50





下駒ケ岳 11:15



栂海新道はいくつものピークのアップダウンを繰り返していく。

白鳥小屋には12:30到着。今日中には親不知ににつけるだろう。しかし二人とも疲れが溜まり、だんだん口数が少なくなってくる。
「後何時間ですかね〜。」
と呟きながら、2週間かけて北アルプスを縦走した福岡の知り合いに脱帽の想いになる。
「ちょっと記憶が不確かなんですが以前、枡天は日曜が休みだったんですよ。でも年中無休になったと聞いた気もするのですが、、。もし今日がお休みだったらすみません、、。」
「全然大丈夫です。富山駅前だったら他にもおいしいお店色々ありますよね!」
富山湾の海の幸があと数時間後に待っている! と私は心の中で自分を鼓舞した。



白鳥小屋。この小屋もとても素敵です。





小屋の外にはナナカマドの実



高度計が示す標高がどんどんと下がっていく。そして13:40、坂田峠で、一旦一般道と交差する場所に出た。
「うわー。アスファルト! 人工物が何か懐かしいですね。」



坂田峠、到着





坂田峠の説明版



お互いにザックをおろして、水を飲む。一息ついて、私は言った。
「今日ちょっと心配だったのが、山登りの時間はTさんが論文の内容を考える時間だったんじゃないかと思ったんです。でも今回は私が一緒でずっとおしゃべりしていたから、ひょっとしたらお邪魔だったんじゃないかと、、。」
「いや、若い時はそういうこともありましたけど、今は山に登るときは山で仕事のことを考えないようにしています。」
さすが教授。素晴らしいワークライフバランス。多忙な時はそれが上手く行かないときもあるかもしれないが、適度な緊張と弛緩を上手く組み合わせないと人はストレスでつぶれてしまう。

TさんはGPSの目標地点を親不知に設定し直して、
「後1.8キロですね。」
と言った。マラソンであれば15分もあれば走れてしまう距離である。



尻高山のお地蔵さん





栂海新道の標識





二本松峠の説明版



15:00に二本松峠を通過し、さらに進むと、遠くに車やバイクが来る音が聞こえ、国道が近づいていることがわかった。周りがスギヒノキ林となった所で現れたのが「この先林道拡張工事のため、注意して通行してください。」という看板。その作業現場を通り過ぎて、10分もしないうちに山道は国道に突き当たった。目の前に見える古めかしい建物は、親不知観光ホテルと書かれている。紛れもなくここがゴールだ!
Tさんと私はがっしりと握手を交わし、無事に親不知まで歩き通したことを喜び合った。



栂海新道の起点、かつ終点。15:45分に到着。



そしてホテル親不知の横にある階段を80メートル下り、日本海に面した砂浜へ。地元の子供たちが遊ぶ中、Tさんと私は日本海まで降りてきたことに改めて感動した。今日の海は、曇り空を反映して灰色。汚れた靴を海で洗っていると突如大波が来てびしょ濡れになったが、そんな瞬間もなぜか笑ってしまうほど嬉しい。



標高0メートルの海まで降りました!



80メートルの階段を登り返し、今度は上から親不知と名付けられた断崖と日本海を眺める。北アルプスをくまなく歩きつくした明治後期のイギリスの宣教師ウォルター・ウェストン。



ウェストンの像と一緒に



難工事の末、親不知に道路そして鉄道が敷設された経緯。古くは源平太平記、松尾芭蕉の奥の細道、福井生まれの水上勉の小説等に描かれた親不知。それらの説明パネルを読んで再度海上に目を向ける。



如砥如矢の説明版





日本海



「あそこに高速が走ってますけど、あれ海の上に作られているんですよ。」
「あ、本当だ!」



海の上に立つ高速道路。



確かに道路を支える巨大な支柱が海中に埋まっている。この険峻な断崖絶壁には、道路幅を確保するトンネルを掘ることができず、海上高架橋という技術を用いて北陸自動車道は作られたという。

この後はゆっくり温泉に入るべく親不知ホテルに行くと、日帰り入浴は午後3時で終わりだった。
「でも親不知の駅の近くにまるたん坊っていう温泉宿泊施設があります。そこでも入れますよ。」
とフロントのお兄さん。

さて、温泉はともかく、私がやらなければならないことがあった。それは東京に帰る交通手段の確保である。もし今日の夜富山発東京行きの夜行バスに空きがあれば、それを予約してしまいたい。それにはインターネットがあると手っ取り早いのだが、、。
私は笑顔でフロントのお兄さんに尋ねた。
「すみません、、。ちょっとお願いしたいのですが、今日の夜行バスで富山から東京に帰る予定なんですが、その予約がまだなんです。もしインターネットをお借りできれば、パパッとネット予約してしまいたいんですが、、。」
「高速バスですか、、。今日は台風が来るから高速が通行止めになるかも知れませんよ。」
といいつつも、お兄さんは私にパソコンを貸してくれた。

ウェブ上で富山ー東京の夜行バスを検索し、空きがあるかどうかを電話して確認していく。3社目のバス会社に今夜空きがあることがわかり、即予約を依頼。
「かしこまりました。今夜富山駅南口ロータリーを23:39分発の青春ドリーム号、女性1名様でお間違いないですか。」
「はーい、それでOKです!」
「それではお支払いですが、コンビニでの支払いとなります。ローソン、ファミリーマート、サンクス、スリーエフのいづれかになりますが、どちらのコンビニがお近くにありますでしょうか?」
「えっ! どこのコンビニで払うか、今決めなきゃダメなんですか?」
コンビニによって支払いコードの番号が違うという。そんな、富山駅まで行ってみないとどのコンビニがあるかわからない、、。と眉をしかめたところ、Tさん、私の話にさり気なく耳を傾けてくれていて
「富山駅前にローソンあります。」
と後ろで一言。
「あっ! ローソンで! ローソンでお願いします。」
電話受付の人は、その支払い番号とコードを教えてくれた。それを間違いないようメモし、無事に今日の夜行バスを確保! 私は、フロントのお兄さんにお礼を言って、パソコンを返却した。こういう変則的な頼みごとを聞いてくれるのは、地方の寛大さゆえだろう。本当にありがたかった。その後タクシーに乗って、温泉施設のまるたん坊に向かう。

ここの日帰り入浴の料金は、なんとも良心的で300円。女性の風呂場には私一人で、二日間の疲れを取るべく、湯船に浸かる。
しばらく物思いにふけっていると、突然一人のおばちゃんが入ってきた。そして
「熱うない? うめる?」
「いや、ちょっと熱めですけど、大丈夫です。」
という私の言葉を全く無視して、彼女は風呂場の片隅にあるホースを引っ張り出す。何故このお風呂場にそんなに詳しいのだ? ひょっとしてこの人、お客じゃなくてスタッフの人?
「ちょっとまっててね。すぐぬるうなるから。」
そういってホースを湯船に投げ入れた。
尋ねるとやはりそうで、おばちゃんはこの施設の経営が市から民間に移った経緯について語り始めた。しかし北陸弁は聞くのにやや集中力がいる。要約すると、、
この温泉施設は最初糸魚川市が経営していたが、商売っ気のない経営はすぐに赤字に転落し、一時建物は閉館された。しかしそのままではもったいないので、近くで民宿をやっていた地元の夫婦に依頼が来て、経営建て直しを目指すことになる。民宿のごひいきさんだった人も、一新したまるたん坊に来てくれるようになり、ようやく経営は上向き加減となった。実はその地元の夫婦というのがこのおばちゃんとご主人らしい。ご主人は元々漁師だったので、ここで出す魚料理はおいしい、自信がある。

ということを、おばちゃんは約15分にわたって情熱的に語り続けた。半身浴をした体は十二分に温まっている。
「すみませ〜ん、ちょっともう熱くなってきたので先に出ますね。」
私はやんわりと笑顔でおばちゃんの話を切って、湯船から出た。

私がお風呂から出てくると、Tさんは談話室でビールを飲みながら、宿泊客のご夫婦と歓談していた。2人も今日馬場島近くの猫又山から下りてきた所で、Tさんの話を聞いて、標高0メートルから山行の凄さに驚いている。そして2人は早川ドクターのHPを頻繁に見ているらしい。奥さんがTさんに尋ねる。
「早川ドクターと一緒に山行に行かれてるってことは、ブログに登場していますよね? なんていうニックネームですか? 名人ですか? ひょっとして鬚魔人ですか?」
「いや、、。」
Tさんは苦笑して、
「教授っていう名前で出ています。」
「えー!「教授」ですか!! こんなところで教授に会うなんて!」
とご夫婦は目を見開いて感嘆する。そして私は2人の感嘆ぶりにびっくりである。「教授」はドクター早川のブログで、ヒルクライムの帝王と称されているらしい。
そんな知る人ぞ知る有名人と今日ずっと一緒に歩いていたのか〜!

ドクター早川のHP
以下はTさんが早川ドクターと一緒に行った標高0メートルから乗鞍岳の山行記録

時刻は既に6:30。ご夫婦2人は夕飯の時間となった。6:46親不知駅発の電車に乗る予定であることをいうと、「歩きだともうぎりぎりかもしれないですよ。」とスタッフのお姉さんが親切に駅まで車で送ってくれた。



親不知駅は、静かな無人駅。



時間通りに電車が入線して、私たち2人が乗り込んだ後、四両編成の北陸本線はガタンと大きく揺れて親不知の駅を出発した。

右手に薄黒く日本海が浮かぶ中、私はTさんに質問した。
「Tさんは大学でどういう研究をされているんですか? きっと専門的だから、私が聞いてもよくはわからないと思うのですが、、。私にもわかるように、噛み砕いて説明していただけませんか?」
Tさんは、飲んでいた缶ビールを傾けて言った。
「私は今は工学部ですけど、元々は化学の出身なんですよ。」
Tさんが在籍していた東大の講座は、帝国大学時代「火薬科」と呼ばれ、燃焼という現象を化学的な側面から研究していた。戦後その講座は数度の名称変更を経て、Tさんはそこで燃焼効率等について勉強したという。
「燃焼って言うのは、2つの見方があるんです。化学的な燃焼と、動力を生み出すための工学的な見方と。後者で一番わかりやすいのは、車のエンジンですね。ピストン運動する内燃機関です。」
初めて聞く単語である。
「じゃあ、、ストーブとかも内燃機関ですか?」
「いや、機関っていうのは、燃焼を通して何かを動かす力を生み出す装置なんですよ。ストーブは熱エネルギーをとっているだけなんです。」
「ほう、、。」
なんとなくわかったような気がする。私は相槌を打った。

Tさんは富山大学の工学部に移ってから、ハイブリッド車、ガソリン車等のエンジンの燃焼効率について研究している。それらの車と電気自動車の違いについて、また、ヨーロッパではディーゼル車の比率が高いこと、一時注目された燃料電池自動車の開発は最近低迷している、とTさんは話す。
私の頭の中を質問が駆け巡る。ディーゼルって何だっけ、、。燃料電池自動車って電気自動車と何が違うの? 車に乗らないが故に、基本的なことがわからず、しかしあまりに稚拙すぎて質問しがたい。
「うーん、、そうなんですね。なるほど、、、。」
私は理解度45%ぐらいの表情をしながら相槌を打った。

ちなみにTさんはご家族がすんでいる東京ではハイブリッド車、富山では山登りのために小型の四駆に乗っているという。

1時間程で富山駅に到着した。2015年に長野から延びる形で新幹線が富山まで到達するのにあわせて、今富山駅は大規模な改修工事を行っていた。その南口からすぐのところにあったローソンで今夜のバスの支払いを済ませ、Tさんお勧めの山好き居酒屋の枡天へ。そのお店は、駅前のロータリーから歩いて2分ほどだったが、メインストリートを左に折れた細い道路わきにあり、初見の人はまず入らないだろうと思われる場所にあった。ところが、Tさんが危惧したとおり、日曜日の今日はお休みだったのである。残念。次回の楽しみにしよう。次富山に来るときは、通っぽく枡天ののれんをくぐろう!



枡天の看板。次回は是非!



代わりに向かったのが、電鉄富山駅の向かいの地下1階にある、かまど料理ごんべい舎。カウンター席に案内されて、北陸の銘酒を一合ずつ、そして白海老の天ぷら、ぶりの煮付け、刺身盛り合わせ、げんげの天ぷらなどを注文。げんげとは、うなぎのように細長い底生性の魚で、富山湾の珍味として有名。

きりりと冷えた日本酒で、無事に栂海新道を歩きとおしたことを乾杯し、山での緊張感から開放されて他愛もない会話が弾む。どの料理もおいしかったが、一番印象的だったのは、箸で骨が崩せる程やわらなくなったぶりの煮付け。味も髄まで染込んでおり、自分でもこういうのが作れたら!と思う。歓談は10:30頃にお開きとなり、今回同行させてもらったことを感謝し、是非また一緒に行きましょうということでTさんとお別れ。

色んな人との出会いがあった、長かった二日間。栂海新道と日本海に感謝!

おまけ。
帰りのバスで横だった人はとても恰幅のいい、1人分の席幅を1としたら1.3が必要ですみたいな人で、私は0.7のスペースに身を細めながら寝苦しい夜を過ごした。バスは台風の影響も受けずに予定通りに、6:30東京駅到着。山手線に乗って大崎へ、そこから15分歩いて無事戸越の家に帰宅。山で汚れた洗濯物をして、その後読みかけの文庫本を読んだりして過ごすが、突如8:30頃に眠気に襲われ、次の瞬間に気づいた時は12:30。ここ近年まれに見る熟睡ぶりだった。やはり相当疲れていたみたいである、、。