恋に落ちた龍がいる。
昔、子死越と呼ばれた土地に、五つの頭を持つ暴れ龍が棲んでおり、人々はその五頭龍による度重なる雷雨、洪水、そして凶作に苦しめられていた。ある時その海に暗雲立ち込め雷鳴が轟き、ようやく晴れたときには海上に1つの島が現れていた。
そこに舞い降りた一人の壮麗な天女。龍は一目で恋に落ち結婚を申し込んだが、天女は暴れ龍には見向きもしない。
龍は、その日より心を入れ替えて悪行の一切を止め、その土地を水難から守り、恵みの雨をもたらした。
二人は結ばれ、その土地には豊穣と平穏がもたらされた。いつしか「子死越」は「腰越」と呼ばれるようになり、1192年には日本初の幕府が作られ、日本史上、最も重要な場所の1つとなって行く。
2011年11月19日、その弁天様と龍神様をお参りに、江ノ島まで足を伸ばした。
まず向かったところは竜口寺。ここは日蓮上人が提言した立正安国論が鎌倉幕府に讒言として取られ、危うく斬首されそうになったが、海から光が輝きて首切り人は首を切ることができなかったという日蓮龍口法難の地として非常に名高いお寺である。
「竜口」という寺名の由来は、心を入れかえた五頭龍が入り江に口を向けて座し、「辰の口」と呼ばれるようになったことに因んでいる。
雨振る中、ゆっくり境内を散策すると、鐘と瓦に龍の面影を見つけることができた。
東京オリンピックの年に新しく敷設されたという江ノ島大橋を渡るときには、小雨どころではなくなり、私は傘を持ち耐風姿勢を取りながら進み、ようやく江ノ島に到着した。
江ノ島には、辺津宮、中津宮、奥津宮という3つのお宮があり、その奥に岩屋と呼ばれる長年の間に波によって削られた岩窟がある。妙音弁財天の像は、この岩屋に祀られていたが、昭和47年の崩落事故以来、辺津宮に移されたという経緯がある。
この辺津宮の奉安殿で初めて見た弁天様は、白くて、ふくよかで、とてもかわいらしかった。そして目は凛として遠くを見つめ、琵琶の弦に触れている指先は、そこはかとなく妖艶に見る。これが五頭龍が恋に落ちたという女人の姿。手を合わせてお祈り。
無事に奥津宮までは到着し参拝を済ませたが、ここから岩屋までの道が問題だった。道幅の狭い石段を降りて、島の突端に出た途端、暴風に煽られて勢い良く傘は翻った。私は慌ててその傘をたたんですぐそこにあったお茶屋に駆け込み、びしょぬれになった眼鏡を拭きながら
「すみません。雨宿りさせてください。」
出されたお茶を飲みながら外を眺めた。荒波を背景にして、雨は上から下ではなく、左から右に降っている。お店のおばさんによると、岩屋の入り口まではここから歩いて1,2分だという。小1時間その風景を眺め、弱まる気配を見せないその風雨に見切りをつけて、私は行く決心をした。
このお茶屋から岩屋までの暴風雨の中の約20秒間のダッシュは、2011年一番の頑張りだったといっても過言ではない。無事にたどり着いた私は息を切らしながら、入場券を買って中に入った。薄暗い中蝋燭を持って、弘法大師が修行をし、源頼朝を始めとする武将が戦勝祈願に訪れた、江ノ島神社や岩に刻まれた諸仏をお参りする。1400年前に創祀され、現在までに幾人がここで祈りを捧げたのであろう。
帰りには、お茶屋のおばさんが
「大変だったわね。これ甘いから良かったらお土産に。」
と言って柿をくれ、仲見世通りのちりめん細工のお姉さんは私の壊れ傘を見て、お店に余っていたきれいな傘と交換してくれた。
ありがたい。
自然が猛威を古い中では、人々の親切こそが身に沁みる。
観光客で賑わう江ノ島を離れ、閑静な住宅街である西鎌倉に向かった。この一角にある龍口明神社に、江ノ島の岩屋で修行をしていた泰澄大師が彫られた五頭龍の木像が祭られている。既に日が沈みかけて暗くなりかけた境内を静かに参拝させて頂く。
この江ノ島探訪の日は、波浪注意報でも出ているのではないかと思われる程(後で知ったが本当に出ていた)悪天だった。龍神様は、弁天様とけんかでもして一日ほど暴れ龍に戻ってしまったのかも知れない。
竜という漢字(「龍」は、後年に作られた竜を荘厳にした漢字)が、最初に刻まれたのは、古代中国殷王朝の甲骨文字の時代であった。紀元前から、竜は雨、川、湖、滝などを司る強大な力を持った空想上の動物として崇められた。そして、その力は時には翻って恐ろしい破壊力となる。
群馬県水上町の応永寺には「しばられ龍」がいる。ここの村人達は日照りの時には近くの雨呼山に登って太鼓をたたき雨乞いをした。ところがある夜、応永寺の木彫りの龍が逃げ出して雨呼山に登って大暴れし大洪水を引き起こした。それ以来その彫刻は縄で縛られて本堂に祀られるようになった。
埼玉県越生市の山間に曹洞宗の古刹、龍穏寺がある。この地には、暴れ龍が棲んでいたが、五代目住職、雲崗俊徳和尚が龍と闘い、その魂を鎮めるための祈りを捧げた。それがこの寺名の由来だという。
東京都大田区洗足池。江戸名所図会にも描かれた風光明媚なこの湖には、昔毒龍が棲んでおり、それを日蓮上人が退治したという伝説がある。その龍を封じ込めた祠に、村人達は雨を願って手を合わせるという。
雨呼び、雨乞い
雷雨、竜巻、怒石流、そして、慈雨。
龍神の持つ「破壊」と「慈愛」の二面性。
津々浦々、日本の龍伝説
・北海道島牧村 飛竜賀老の滝
松前藩の金山奉行が金を隠し、それを奪る者には龍神の祟りがあったという。
・北海道
沼沢値に棲み悪さをする龍蛇神をアイヌの英雄オオキリムイが退治した。アイヌ民謡 ハリツ・クンナ 知里幸恵訳
・小樽市 手宮
手宮の岩陰に棲む悪龍は、毎年若い娘を生贄として要求していた。ある年、知恵ある娘がマキリ(小刀)と犬で悪龍を退治した。
・弘前市 小沢龍神温泉
夢に現れた龍神のお告げにより湧き出た温泉。
・青森県 秋田県 十和田湖 田沢湖 八郎潟
奥入瀬の水を飲み龍と化してしまった八郎太郎。十和田湖に棲むが、南祖坊と闘いその住まいを追われ、八郎潟に移る。後、田沢湖の辰子姫と恋に落ちる。三湖を巡る壮大な龍伝説。
・一関市 宝竜温泉
昔、龍が昇天し慈雨を降らせたという伝説のある土地。
・茨城県 鹿島明神
魑魅魍魎を率いた龍蛇神を鹿島明神が退治した。その後には、首のない大蛇の胴が残った。
・茨城県 鹿島沖
捕鯨に出た男達が、古老の暗雲に対する注意を聞かず、竜巻に巻き込まれて遭難。
・東京都 大田区 羽田弁財天
多摩川を流れ下ってきた宝珠と、江の島から勧請した弁財天を祀る。
・鎌倉 江ノ島
北条時政が子孫繁栄を祈願して参詣した折、龍が現れ三枚の鱗を与えた。時政はそれを崇め、三つ鱗紋を家紋とした。
・日光 竜頭の滝
長さ200メートルの斜面を二手に分かれて流れる様子を龍の髭に見立てての命名。
・日光 鬼怒川上流部 竜王峡
龍が暴れまわったかのような荒々しい渓谷美を持つ。岩盤の色によって紫竜峡、青竜峡、白竜峡と呼ばれる。
・栃木県 八溝山
昔、八峰を八巻する悪龍が棲んでいたが、那須国造が、乗鞍岳から天の安鞍を、槍ヶ岳から天日矛を、立山から天広楯を、信濃駒ケ岳から神馬を借りて退治した伝説がある。
・群馬県 赤城山麓
赤堀道玄という長者の美しい娘は、赤城神社参詣の折に、龍に見染められ、沼に引き入れられてしまった。
・千葉県 印旛郡 栄町 竜角寺
731年旱魃の時に、印旛沼の龍が昇天して雨を降らせ、その体は3つに分かれて地上に落ちた。その時の頭部は竜角寺、腹部は印西市本埜の竜腹寺、尾部は匝瑳市の竜尾寺に祀られている。
・八丈島 登竜峠
この峠道を下から見ると龍が昇天しているように見える。
・箱根 九頭竜神社
芦ノ湖に棲み若い娘の人身御供を要求していた悪龍を、万巻上人が改心させ神社に祭った。湖水祭ではお櫃に赤飯を入れて湖底に沈めて捧げるが、もし浮かべば龍神が受け入れなかったため災いが起こるという。大正十二年(1923年)の湖水祭りではお櫃が浮かんでおり、その数ヵ月後に関東大震災が起こった。
・浜松市 龍頭山
龍の頭に似た、小龍頭、大龍頭と呼ばれる岩峰が山頂にある。
・静岡市 龍爪山
龍が降りて、誤って爪を落とした。
・袋井市 竜巣院
太素省淳禅師が夢に現れた龍神のお告げに従って開創した寺。
・新潟県中魚沼郡津南町 龍ヶ窪の水
日照りによる不作で食物に困った村人が龍の卵を盗んだ所、母龍が怒り狂ってその卵を取り返しに来た。村人はせめて子供たちの命だけは助けてほしいと懇願し、龍はその心に打たれ三日三晩雨を降らせ、この池を作ったという。今も一日43000トンの水が湧き出ている。
・長野県飯山市 北竜湖
弘化4年(1847年)に起きた善光寺地震によって湖が決壊し100人以上の命が奪われた。この時千曲川に龍が流れ下った。
・長野県 木島平村 竜興寺清水
治承年間(1177〜1180年)に虎室と見竜の高僧によって立てられた名刹にある湧水。これで内山和紙を作る。
・長野県 戸隠山
渋右衛門という漁師は、天狗からもらったという金の鉄砲玉で百発百中だったが、滝壺に棲む龍を討とうとした時から的には当たらなくなった。
・長野市 西光寺門前
樵の中兵衛が龍を撃ち殺しその死体を見世物にしたため、祟りにあり一族は死に絶える。弔うために西光寺の住職が門前に碑を立てた。
・岐阜県 関市 日竜峰寺
5世紀前半の仁徳天皇の時代、両面宿儺が龍神を退治して山に祠を建てた。
・福井県池田町 竜双ヶ滝
滝壺に棲む滝が昇天するためにこの滝を登った。滝の名は、龍双坊という修行僧に因む。
・名古屋市 竜泉寺
延暦年間(782−806年)に最長が多々羅湖畔で経文を唱えると、池から龍が昇天し、馬頭観音が現れた。
・福井県 九頭竜川
氾濫を繰り返すため「崩れ川」と呼ばれ、それが九頭竜になったとも言われる。六世紀に継体天皇が九頭竜川の河口を広くしたのが日本最古の治水記録。
・滋賀県竜王町
東西の竜王山(雪野山と鏡山)に抱かれた歴史ある街。龍王寺の梵鐘には美女と大蛇の伝説がある。
・滋賀県 勢多の松本
真上阿祈奈君は竜宮城に呼ばれ、その秀麗さを歌う名文を書いたところ、竜王に深謝された。
・いなべ市、近江市境界 竜ヶ岳
古くから雨乞いの山であり、南側斜面には白龍神社がある。
・京都伏見区 清瀧権現
淳和天皇の天長五年(828年)、弘法大師空海が神泉苑で請雨修法の際に出現したという善女龍王を祀る。
・京都 神泉苑
小野小町が詠んだ「ことわりや日の本なれば照りもせめ さりとてはまた天が下かは」という歌に竜王が感激して雨を降らせた。
・京都 勢多の橋
勢多の橋に棲んでいた龍は、少しも臆せず橋を渡った俵藤太を剛勇の士と見込んで長年の敵である琵琶湖の大百足を倒してくれるよう頼んだ。神業に近い弓矢術によって見事百足を退治した藤太は龍から深謝され赤銅の鐘をもらう。その梵鐘は三井寺に献上された。
・奈良県月ヶ瀬村 竜王の滝
修験道の開祖、役の行者が修行した滝。
・奈良県 吉野 竜門岳 龍門寺
龍が棲むような山間深い修験道の山。久米仙人もここで修行したが、女性の肌の白さには勝てず、その女性と結ばれた。
・富田林市 龍泉寺
嶽山の中腹にある龍泉寺には悪龍が棲んでおり、境内の池と麓の水脈は全て枯れてしまった。弘仁十四年(823年)、空海の祈祷により池には水が戻り、聖天、弁才天、叱天、牛頭観音が祀られた。
・奈良県 生駒郡 竜田神社
聖徳太子が法隆寺を立てるための土地を探していたときに、老人に化身した龍田大明神が斑鳩の地を勧めた。その龍田比古神・龍田比女神の二神を祀る。
・吉野郡 天川村 龍泉寺
700年ごろ、役行者がこの地に泉を発見し、八大竜王を祀ったという。
・奈良県 宇陀市 龍穴神社
善女龍王を祀る深山の神社。昔から龍穴では雨乞いの儀式が行われた。
・和歌山県 竜神温泉
役小角が源泉を発見し、弘法大師空海が難陀竜王の夢告を受けて衆生に広めたといわれる1300年の歴史を持つ温泉。
・紀州 熊野 日高川
修行僧安珍への想いを裏切られた清姫が、怒りのあまり龍蛇と化し、道成寺の梵鐘の中に逃げ込んだ安珍を焼き殺してしまうという悲恋伝説。
・大阪 四天王寺
天正十六年(1589年)、二匹の龍が四天王寺に仏舎利を奪いに来た。恐ろしい竜巻とともに金堂は破壊されたが、渾身の四天王像に阻まれ、仏舎利を取ることはできなかった。
・瀬戸内海
小豆島、讃岐の近海からはよく竜骨が引き上げられ、それは粉にひいて傷薬に用いられた。(倭訓栞)
・讃岐山脈 竜王山
双耳峰であり、東側が讃岐竜王、西側が阿波竜王と呼ばれる。麓に龍神を祭った神社がある。
・讃岐国 志度の浦 志度寺
龍に奪われた宝珠を命がけで採り戻した海女の碑がある。
・土佐国
土佐の国では、龍の昇天(台風)時に、太鼓、鉦、法螺で囃し立て龍を追い立てたという。(諸国採草記)
・高知県 香美市 龍河洞
昔、天皇が竜駕に乗ってこの鍾乳洞を訪れたことから命名されたとも言う。
・高知 桂浜
竜王宮と龍頭岬に抱かれた弓型の海岸。この場所から坂本竜馬は太平洋に夢を抱いた。
・高知県 土佐市 青龍寺
弘法大師が修行先の唐から投げた独鈷杵がこの地で見つかったという。四国八十八ヶ所三十六番札所。
・愛媛県 宇和島市 龍光寺
農夫の刀が切り裂いたという龍の目が祀られている。
・鳥取県 日野町 竜王滝(幽霊滝)
麻を紡いでいた女たちが肝試しとして、幽霊滝の賽銭箱を取ってくることを提案した。お勝という女性はその幽霊滝に向かい、賽銭箱に手をかけたところ、どこからともなく自分を諌める声が聞こえた。その声を無視して箱を持って村に帰ったところ、背中に背負っていた赤ちゃんの首がなかったという。(小泉八雲 骨董)
・島根県 益田市 蟠龍湖
竜がとぐろを巻いているような湖の形。
・山口県錦町 寂地峡五龍の滝
竜尾、登竜、白竜、竜門、竜頭の5つの滝が存在する。
・山口県 篠山市 竜蔵寺
役行者が岩窟にて熊野権現を勧請し護摩供を行い、龍の蔵と命名。
・長門市 竜宮の潮吹き
海水が穴から吹き上がる様子が龍の昇天に見えるためこの名前が付けられた。
・下関市 竜王山 竜王神社
下関海峡を望む山頂に祀られ、海上安全、大漁などが祈願される。
・福岡県 小倉
ある侍の家にて、柱を登ろうとしていた小蛇が風雨とともに龍の姿に戻り、昇天した。
・佐賀県 有田町 竜門の清水
鎮西八郎為朝が大蛇を退治したという伝説がある。
・大分県 九重町 龍門温泉 龍門ノ滝
鎌倉時代の渡来僧蘭渓道隆禅師が(現河南省)の龍門の滝に似ているということから命名。
・長崎市江迎町 潜竜ヶ滝
文政十二年、平戸藩主観中公が命名し、周辺を神域にした。
・熊本県 山都町 竜宮滝
滝壺に龍が棲むといわれる。
・熊本県 南阿蘇村 金龍の滝
黄金の龍が昇天するような荘厳な滝。
・熊本県 天草市 龍仙島
龍女宮と呼ばれる洞窟、奇岩、岩礁のある孤島。
・鹿児島県加治木町 龍門滝
中国山西省竜門瀑に似る。老婆が滝壺で洗濯していると大波が起こり大蛇が現れた。以来その場で洗濯するものはいなくなった。
中国では劉邦の誕生以来、龍は天帝の象徴とされ崇められた。天子の乗り物を竜駕といい、天子の子孫を竜種という。
インドには古来からナーガという蛇神がおり、それは仏教の守護神となり中国にわたって龍と同一視されるようになった。インド仏教の高僧ナーガールジュナは、中国語で龍樹と呼ばれる。
インドに生まれ、中国を介して日本に伝わった仏教は、伝播して行く過程で八百万の神々をその中に組み込んで行く。その例にもれず、日本古来の龍も龍王となり、他の八部宗の諸神とともに仏法の守護神となった。
山形県鶴岡市、善宝寺。龍道大龍王と戒道大龍女を奉るというこの寺は、航海の無事を願って古来から漁師らの参拝が絶えない。鶴岡出身、藤沢周平の「龍を見た男」にも描かれており、その小説から得たイメージを膨らませながら私は2011年7月に、その境内を訪れた。本堂の内壁には大手水産会社から奉納された蟹漁、捕鯨を描いた油絵がかかり、巨大な魚の形を模した木魚があった。
そして境内から外れて杉木立の中を10分ほど歩き二龍が棲むという貝喰の池を散策。深緑色の湖面には何十匹もの鯉が飛び跳ねており、岸にしゃがんでよく見ると髭を伸ばした鯰もいる。
一番奥の竜神堂をお参りし、1200年以上その存在を人々が崇めてきた龍神様に想いを馳せる。
役小角が修験道の場として開山した和泉葛城山には、八大竜王と葛城一言命が祭られている。雄略天皇21年(477年)、暴れ川として知られる越前の九頭竜川の灌漑工事の成功と国家安全を祈願してこの社に黒龍大神、白龍大神の御二柱が建立された。
和泉葛城山から西方に向かい谷あいに下って行くと、修験道の霊場として1300年の歴史を持つ犬鳴山七宝瀧寺に着く。大小幾つもの滝が流れ込み、樫井川の源流部でもあるこの神域には、倶利伽羅竜王不動が祀られている。
富士山麓、本栖湖の南側に竜ヶ岳という山がある。
本栖湖と精進湖は、昔1つの湖だった。これが貞観の大噴火(864年)によって分断され、本栖湖に住んでいた龍は溶岩流のあまりの熱さに湖を飛び出て、近くの山に鎮座した。それが竜ヶ岳である。
その竜ヶ岳に登りに行った日は、雲ひとつない快晴だった。2時間ほど急坂を登り到着した山頂からは、富岳三十六景にでも描かれそうな富士山と駿河湾の姿があった。
その展望を十分に楽しんだ後、北側の本栖湖に向かって下り始めた。
本栖湖と精進湖の間の裾野には青木ヶ原の樹海が見える。この森林は、貞観の大爆発で噴出した溶岩の上に千年以上かけて成立したもので、火成岩の中に含まれる磁鉄鉱によりコンパスの方位が狂うことが知られている。
つづら道を約500メートル下り、静かな湖面を湛える本栖湖に到着。ブラウントラウトが棲むことで有名なこの湖、万が一の可能性を期待して、竿を振った。
、、と、釣れたのは1匹のハゼ!(淡水性のハゼだと思われる)人差し指ぐらいの大きさである。
『述異記』には「水にすむ蛇は五百年で蛟(みずち)となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で応龍となる」とある。
ひょっとしたらこのハゼもいつかは、、。
奥多摩雲取山から甲武信ヶ岳にかけての奥秩父連山の間に、飛龍山と龍喰山という山がある。 昔から龍喰山には龍神が棲んでおり、ある日若い娘がお供えをしに登ったところ、 山頂にはその魂が見受けられなかった。麓の神主に占ってもらったところ、龍神の魂は近傍の山に飛んでいったことが分かった。それが飛龍山だという。
紅葉深まる2011年秋晴れの日に、その飛龍山に登りに行った。丹波の集落から登り4時間はかかる深山である。カエデ、ブナ、アワブキ、ミズナラの紅葉、黄葉が足元と目の前の両方を埋め尽くしてる。この山に、今龍がいるとしたら、それは赤龍か黄龍だろう。
龍には、色ごとに役割がある。
白龍は、天上界の天帝に仕える。西方の守護神。
青龍は、東方の守護神。
黄龍は、天の四方を守る四神の中心的存在。
赤龍は、太陽や火山から生まれた。南方の守護神。
黒龍は、海底や闇を司る。北方の守護神。
祠の横に座って休んでいると縦走用のザックを担いだお兄さんが一人登ってきた。彼の話によると、この山が飛龍と呼ばれる所以は、飛龍と前飛龍を結ぶ稜線が、甲斐側から空を舞う龍のように見えるからだという。
飛龍は秩父側からは大洞山と呼ばれる。確かに、甲斐側と秩父側からでは異なる形の山塊に見えるであろうことは、山地図の等高線から想像できる。
滝壺に棲む龍
湖に棲む龍
川を流れ下る龍
天に昇っていく龍
龍は一体、どのくらいの大きさなのだろう。
標高1330メートルのネパール、カトマンズの盆地は古代は湖であり、そこにはカルコタカと呼ばれる、全ての生物の王である竜神が棲んでいた。
その湖に創造神ブラフマーが現れ、それを礼拝しに来た文殊菩薩は、カルコタカ竜王を説得した後、湖の一角(現在のチョーバール峡谷にあたる)をチャンドラハーサ剣によって切り開いた。
湖の水はガンジス河に流れ出て、湖底は三夜で干しあがり、そこは肥沃な盆地となった。以来カルコタカ竜王は、流れ出た水が留まったダウ・ダハという湖に移り住んだ。
そのダウ・ダハ湖は、カトマンズ南東部に今も存在する。
おそらく、世界最大の龍は中国に存在する。
それは黄土高原に端を発し、渤海へと流れ込む全長5464キロの黄河である。山西省にて大きく湾曲する大河の流れは、古来から龍そのものと信じられた。
実在を超越した龍。
黄河の龍は飛ぶのだろうか。
目を閉じる、想像してみる。巨大な世界最大の龍。
雷鳴あり、風雲あり、暗闇あり。
目を開くと、そこには雷鳴も、風雲も、暗闇もない。
龍の目は見えない。しかし、巨大な鱗を持った尾がうごめいて行く。
その影が目の前に見える。
色即是空 空即是色。